SFドラマ『三体』のVRデバイスは実現できるのか “没入体験”の歴史と現在地から考える
【※本稿には一部Netflix版『三体』のネタバレを含みます。ご了承ください。】 それは、金属でできたオムツのような見た目をしている。かぶると、一瞬で別世界へと飛ぶ。広大無辺なその灰色の世界では、なにもかもが現実めいている。匂いを感じられ、モノに触れられ、口に入る砂埃からは土の味がする。そして、少女をつれた古風な男がこつぜんと眼の前に現れ、こう語りかけてくる。 【画像】『三体』に登場する“VRデバイス”とオギー・サラザール 金属でできたオムツのような見た目をしている 「私は、周の文王。きみはわれわれを救うヒーローになるんだ」と。 Netflixで3月21日から配信がはじまったSFドラマ『三体』。その劇中に出てくるVRゲームをプレイすれば、だれしも本作の主人公であるオギー・サラザールと同じセリフを口にするだろう。 「こんなの、地球のテクノロジーじゃありえない」 もちろん、「Meta Quest」などを例に出すまでもなく、スタンドアロンで動作するVR用のヘッドマウントディスプレイ(HMD)は現実の2024年でもとっくに普及している。HMDそのもの自体は、けっしてめずらしくはない。 だが、Netflix版『三体』のデバイスは常軌を逸している。 装着と同時にほぼ時間差なしで起動する処理速度。まるでグリーンバックのスタジオセットで生身の俳優を使って撮影されたかのようなフォトリアルな映像。逆T字型の開放的な構造なのに音漏れもしないサウンド。三千万人のモンゴル兵を一度に描写する処理能力。目に見えるトラッキングもコントローラーもなしの操作系。そして、冒頭でも描写したような五感に訴える謎技術。 これらはいずれも現代のVRデバイスの技術を超えている。先ごろ話題になったXRグラスの『Apple Vision Pro』でさえ、正面から見たときのメガネ部分のユーモラスな丸みくらいしか実現できていない。まるで、“四光年彼方”からやってきたかのような超技術だ。 Netflix版『三体』でプロダクション・デザイナーを務めたデボラ・ライリーは「どのようにして作られたのかわからないレベルで技術的に進歩したものにしたかった」とインタビューで述べているが、まさしく、そのような代物になっている。オギーのいうとおり、ありえない。まるでSFだ。いや、SFなんですが。 はたして、このHMDのように「ヘッドセットをかぶるだけで五感を仮想世界へとダイブできる」技術は生じうるのか。たとえば(これは『三体』とまったく関係ない想定なのでネタバレでもなんでもないのだが)「これから宇宙人が地球に攻めてきます。勝つためにはNetflix版『三体』にでてきたHMDみたいな超デバイスをこしらえる必要があります。さあ、作ってください」と言われたとして、おいそれとできるだろうか。 ……まあ、無理だろう、と思う。かなり、無理くさい。目元と耳元を覆っているので視聴覚はどうにかなるにしても、嗅覚、味覚、触覚はいかんともしがたい。今現在普及しているHMDがまさにそうだからだ。 いやしかし、人類のたゆみない狂気がいずれこの“メタルオムツグラス”に行き着く可能性もゼロとはいえなくもないのではないか。なんとなれば、人類は裸の眼で見えている〈今ここ〉以外の世界を全身で追い求めてきた動物なのだから。 ■近世ヨーロッパ人はイマーシブ(没入)体験を追い求めていた 現代カメラのもとになった「カメラ・オブスクラ」や「幻灯機」のように、光を用いて図像を投影する装置は古来から存在していた。それを没入的な体験にしようと企んだのは、近世のヨーロッパ人だ。 「ファンタスマゴリア」と呼ばれる一種のホラーシアターでは、幻灯機を通して幽霊や悪魔や地獄の風景を見せ、観客を恐怖に陥れた。いわばプロジェクターでスライドを映す程度のたあいもない影絵なのだが、当時(17世紀末)の衝撃は相当なものだったらしい。あるフランスの医師などは「私は楽園を経験し、地獄を経験し、亡霊たちを経験した」と感想を書き残している。 亡霊(Specter)も興奮を伴う光景(Spectacle)も、元は「見る」を意味するラテン語「Speciō」が派生したものだと言われている。幽霊を見ること、本来われわれの眼には見えないはずの存在や世界を垣間見ることは、エンターテインメントの根源でもある。 ファンタスマゴリアの没入性は、その後長い歴史を通じて磨きあげられていった。特に18世紀末に活躍したベルギーの物理学者にしてショーマン、〈ロバートソン〉ことエティエンヌ=ガスパール・ロベールは、専攻した光学知識を活かしつつ、幽霊ショーの総合的な臨場感をデザインしたことで有名だ。 密閉した室内の闇をろうそくでぼんやりと照らし、風や雷を模した効果音やアルモニカの不穏なBGMを響かせ、画家としても鳴らした自身の画芸でリアルな絵を描き、煙をたいて数々の舞台装置を隠しつつ雰囲気をもりあげた。観客たちは恐れおののき、投影された幽霊や悪魔が観客席に迫ってくると震えて目を覆ったという。 その後の百年でイマーシブ体験のスペクタクルは急速に発達していく。1820年にはジョセフ・ニセフォール・ニエプスの写真技術(ヘリオグラフィ)、そのニエプスの協力者だったルイ・ジャック・マンデ・ダゲールのダゲレオタイプと、写真史研究者の鳥原学が「伝統的な『トロンプ・ルイユ』の発展形であり、十九世紀におけるVR技術ともいうべき視覚効果の興行化」と指摘するパノラマ館/ジオラマ劇場が生まれる。1838年には、「VRの元祖」としてよく言及されるチャールズ・ホイートストンの立体視スコープ(ステレオスコープ)までもが登場した。 そして19世紀末、リュミエール兄弟が今に残る形での映画を生み出し、のちのテーマパークのモーションライド型アトラクションや映画館の4DXの祖ともいえるファントム・ライドが誕生する。こうして振り返ってみるとわかるとおり、VRに限らず、現在にあって“没入感”の名のつく体験の原型は19世紀にだいたい出そろっていたのだ。