小室哲哉が明かす、『WOW WAR TONIGHT』制作で吉田拓郎『旅の宿』を意識したワケ
小室哲哉はなぜ空前のムーヴメントを起こせたのか? それは、80年代~90年代初頭、大ブレイク前夜の小室が「楽曲提供のチャンス」と「TM NETWORK」を通じて「人々が振り向く音楽とは何か」を学び積み重ねた成果だった――。 【写真】米津玄師、あいみょん…国民的ヒットと日本の難題 TRF、篠原涼子、H Jungle with t、華原朋美、globe、安室奈美恵……。ミリオン20曲を軸に「ヒットの秘策」を聞き出す渾身の一冊『WOWとYeah 小室哲哉 起こせよ、ムーヴメント』より特別公開します。
吉田拓郎『旅の宿』の影響
テレビ番組から生まれた『WOW WAR TONIGHT』は、当初1995年3月8日に発表が予定されていた。これはtrfの『Overnight Sensation~時代はあなたに委ねてる~』と同じ日に発表し、インパクトを強める作戦とされていた。 ところが、発売前からCDショップへの問い合わせが殺到。初回出荷枚数だけで100万枚を突破するという異例の事態となったため、trfのシングルから発売を1週遅らせる変更がなされたという。単なる番組の企画曲から一転、話題曲へと格上げされた『WOW WAR TONIGHT』は、オリコンチャート初登場以来、7週連続で1位を記録。1995年を代表する楽曲として、「第46回NHK紅白歌合戦」にも出場した。 紅白のステージでは、クラブのフロアをイメージしたお立ち台で浜田と小室、そして無数のダンサーが盛り上がる中、松本人志がGEISHA GIRLSの格好でサプライズ出演。「松ちゃんも紅白に出るのか?」という当時の期待に応える演出が話題となった。 なお、小室はこの楽曲で「世界で初めてジャングルで100万枚を売り上げたプロデューサー」として、イギリスのサブカルチャー雑誌『i-D』にも特集される。 話題性を上回る結果を残す『WOW WAR TONIGHT』。その一方で、この楽曲には「裏テーマ」があった。それは、音楽界の重鎮たちに「小室哲哉」という存在を認めてもらいたい、という秘めた思いだった。 小室 その頃、僕はフォークの重鎮の方々にあんまり認められていないなぁ、という思いがあったんです。新しいジャンルの音楽ばかりをやっていたから「音楽の基礎ができていない」とか、ポップスやフォーク、ロックなど「従来の音楽に深い理解がない」みたいな先入観を持たれていたのかもしれません。 それまで僕は、男性ミュージシャンへの楽曲提供やプロデュースの機会がほとんどありませんでした。それには大きく2つの理由がありました。 ひとつは、日本には若い男性のアイドルグループが数多くあり、明らかに飽和状態だったこと。もともと女性アイドルへの楽曲提供を主戦場としてきていたし、「空席を狙う」という考え方が強い僕には、手を出すべきところではないように思えていました。 もうひとつは、やはり僕にとってTM NETWORKが特別だったから。長く一緒にやってきたウツ(宇都宮隆)以外の男性ボーカルには、あまり曲を作るイメージを持てなかったことがあります。 でも今回、音楽業界とはほとんど縁がなかった浜ちゃんだからこそ、男性だけどプロデュースをすることになった。しかも話題になって、楽曲を多くの人が耳にすることは確実。 これは絶好の機会だと思ったんですね。僕が長く聴いてきていて、リスペクトしている日本の音楽業界の大先輩たちにも伝わる曲を作って、「小室、お前ちゃんとわかってるじゃん」と思ってもらいたかった。 『WOW WAR TONIGHT』は、「ジャングル」でダンスミュージックとして強く押し出す一方で、実はギター1本で弾ける、歌えるものにしたんです。楽曲の構造も、リズムと飾りをすべて取っ払えばフォークソングそのもの。吉田拓郎さんや井上陽水さんといったフォークの大御所たちへの僕なりのリスペクトをたくさん込めているんです。 まず意識したのは、吉田拓郎さんの『旅の宿』ですね。Aメロに出てくる「温泉でも行こうなんて いつも話している」の「温泉」は、拓郎さんの『旅の宿』に出てくる温泉をイメージしています。他にも、この部分は陽水さん風に、とかいろいろフォークのイメージを落とし込んでます。 そんな想いが伝わったのか、だいぶ後になって、僕がMCの音楽番組に拓郎さんがゲストで来てくれた時、「小室くんの曲で1曲だけすごくいいと思うのがある。『WOW WAR TONIGHT』が大好きだ」みたいに言ってくれて。70年代のポップアイコンとして到底かなわない存在で、尊敬する拓郎さんに評価してもらえたのはうれしかったですね。 フォークを意識したことで、多くの世代に認めてもらえる楽曲になったと思います。お茶の間で絶大な人気の浜ちゃんがせっかく歌うなら、若者だけじゃなくて、拓郎さん世代の人たちにも歌ってもらえるといいなあと思っていましたから。会社でいうと、上司にあたる世代というか。部下と上司が一緒に盛り上がれる、そんな素敵な曲があったらいいな、と。この曲がカラオケの「締めの歌」の定番になったと聞いて、うれしかったです。みんなが肩を組んで歌っていると。それ以外でも、陽水さんと付き合いが深い奥田民生さんが褒めてくれたり、フォークが大好きなTMの木根(尚登)さんやウツが「こんな曲書けるんだ」と言ってくれたり、それまでとは違う広がりというか、手応えがありましたね。 trfで新しいダンスミュージックを打ちだして、セールスも残してといういい流れの一方で「若者だけを対象にした一過性のブームと思われたくない」「もっと幅広い層に応援団を増やしたい」という思いが強かったんです。 きっとサラリーマンでもそうだと思うんですけど、自分の仕事を応援してくれる人が上の世代や下の世代、別の部署にもいると強い。それと同じ意味合いで、「小室哲哉」というものへの安定した支持基盤をしっかり持ちたいって思っていたんですね。この曲にはその思いをしっかり詰め込んだので、いろいろと盛りだくさんになりました。 90年代って、僕だけじゃなく、100万枚を出してるアーティストってものすごく多いんですよ。1アーティスト1作品だけって場合もあるでしょうけど、ミリオンセールスは何十曲もあった。でもブームはいつか必ず終わる。だから、これまで僕の楽曲に縁遠かった人にも響くものを作ることで、少しでも延命できればって気持ちはありましたね。
神原 一光