【菅田将暉×黒沢清】インタビュー:労働被害者の闇「ネット上で集った集団が、狂気の殺人へと突き進む」映画『Cloud クラウド』
Esquire:転売屋という職業はご自分では体験されてないと思うのですが、どういったところから吉井という人物像を作り上げる要素のようなものを取り入れられたのでしょうか? 菅田:クランクインする前に黒沢さんから、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960年 ルネ・クレマン監督)について話をしていただきました。真面目に悪事をやっていく感じは、あの映画が参考になってはいます。 同時に吉井は、いたって無意識的に人を傷つけていく話でもある。善悪で分けていい行動ではなく、生きるためなのです。それは僕らもそうだし、どんな職業の人も、仕事にはそういう側面があると思います。 先ほど話していた吉井の表情は、「転売屋のモノが売れた瞬間である」といった背景があるということを知っていてこそ、安堵感として見えるものです。が、その背景を知らなければ、不気味にも見える――。内情的には至って本気で真面目に仕事しているその姿は、不気味でもあるわけです。
「誰かをいたぶってやろうという気持ちの裏には社会に恨みがある」
Esquire:それはつまり、切羽詰まったというかギリギリの瀬戸際にいる人間こそが最も強い集団的能力、結束力のようなものを生み出すという意味ですか? 黒沢:そうですね。結束と言っていいかどうかはわからないですが。 多分そういう人たちが、一人だったらよく考えて思いとどまったかもしれない、一人では実行しなかった、または発想さえしなかったかもしれない悪意が、集まることによって増幅されるということなのかなと。 誰かをいたぶってやろうという気持ちの裏には、何か社会に恨みがあるのでしょう。何か社会に仕返ししてやろうという。それが吉井に向かい、集団であることで、ひとりだったら警察に捕まるから絶対やらないようなことをやってしまえと、その行動が拡大していくという感じ。それは非常に現代的なことなのだろうと思います。
Esquire:一つ間違えると、犯罪者集団をエンターテインメントにしてしまう。その危うさみたいなものを引き戻すため、演じるうえで気をつけられたことはありますか?
菅田:それはもう、集中力しかないです。ともすれば本当にコントになるし、しようと思えばできました。試写会で(自分の演技を)「変なことするなよ」と祈りながら見ていましたが、特に吉井は役割的に彼の感覚が観る側とも連動する役。特にスリラーとかサスペンス、バイオレンスは(観客の)リアクションが大事。この作品は、怖さとか痛点が一見バグっている登場人物たちの間で、吉井の感覚だけが“ふつう”なので、彼のリアクションが観客が物語を視るときの基準になってしまう。だから、その辺は丁寧にやらなければとは思っていました。 黒沢:それは本当に助かりました。僕も実際、ああいう状況に追い込まれた人がどうなるかはよく分からない。最終的には拳銃を自ら握る人物がたどる過程を見て、「きっと、こうなんだろうな」と納得できるのは、本当に菅田さんが丁寧にやっていただいたおかげです。 非常に短期間で、180度真逆に振れていく人物の心理の変化を丁寧に演じてくれたことが、最後の死闘が茶番にならなかった理由です。(作品を)「重厚」と言っていただけることは、ありがたいです。きめ細かな菅田さんの演技と、銃撃戦の様子をとことんリアルに描くことに全能力を注いでくれた、スタッフたちの力によるものでしょう。日本映画で、このようなハイレベルなアクションシーンを撮ることができるとわかっただけでも、この映画を撮った甲斐があったと思います。