“三陸鉄道”開業40年 震災にコロナ…多くの困難乗り越えてきた歴史 「こんなにも応援されている鉄道があるのか」運転課長の思い
岩手県や沿線の自治体が出資する第3セクターの三陸鉄道は、2024年4月で開業から40周年を迎えた。様々な困難があったその歴史の中で、長く列車に乗務してきた運転課長の思いを取材した。 【画像】三陸鉄道名物「こたつ列車」
「感謝の気持ちでいっぱい」
三陸鉄道は、旧国鉄の赤字路線を引き継ぎ、1984年4月に久慈 - 宮古間、釜石 - 盛間で開業した。 それから40年を迎えた4月1日には記念列車が運転され、宮古駅では乗客に毛ガニ汁が振る舞われた。 沿線住民からも「三陸鉄道が走っているというのは、景色がいい。地元にとっても元気が出る」「交通機関として便利なものだが、活気を与えてくれるもの」などの声が聞かれた。地域の足として、観光資源として、三陸になくてはならない存在だ。 4月13日には宮古市で記念の式典も開かれた。達増知事が「三鉄の車両そのものが岩手を代表するキャラクターとして愛されている」と述べると、石川義晃社長が次のように挨拶した。 三陸鉄道・石川義晃社長: 地域の足を守り、三陸地域の振興に貢献する使命を果たすべく、社員一丸となって走り続けていきます この40年、様々な苦難を乗り越えてきた三陸鉄道。勤続35年目と長く運転士を務めてきた小向広幸さん(54)は、これまでの日々をこう振り返る。 三陸鉄道・小向広幸運転課長: ご利用いただいたお客さまのおかげが一番。ここまで来られて感謝の気持ちでいっぱい
東日本大震災からの復活劇
三陸鉄道最大の苦難、それは2011年の東日本大震災だった。 走行中だった列車の乗員・乗客は無事だったが、津波で駅舎や線路が流されるなど被害は317カ所にのぼり、全線で不通となった。 小向さんは宮古駅で列車の運行の引き継ぎをしていたところで、激しい揺れを感じた。 三陸鉄道・小向広幸運転課長: 冷静ではなかったと思いますが、大ごとなのだなという感じはした。やるべきことはやらなければという気持ちだった がれきが残る街、道路が寸断され移動手段を失った人たちも数多くいた中、三陸鉄道は被害が少なかった区間で発生後すぐに運転を再開した。 当時、乗客からも「まず先に三鉄が動いてくれたので本当にありがたい」と感謝する言葉が聞かれた。 小向さんたち社員が信号や踏切の代わりとなって列車を運行したこともあった。鉄路をもう一度結ぶ、一歩一歩地道な復旧作業が進められた。そして… 三陸鉄道・望月正彦社長(当時): ここに三陸鉄道全線の運行再開を宣言します 2014年4月、北リアス線と南リアス線の全線が復旧し、復興のシンボルとして三陸を再び列車が走り出した。地域住民からは「すごくうれしい。今夜は一杯やります」「希望のような存在だ」と喜びと期待の声が聞かれた。 小向さんは当時を、三陸鉄道への“応援に応えたい”一心だったと振り返る。 三陸鉄道・小向広幸運転課長: こんなにも応援されている鉄道があるのかというくらい、激励の言葉をいただくので、ご支援の声を形にしたいという気持ちがあった その後、三陸鉄道は不通となっていたJR山田線・宮古 - 釜石間の運営を引き継ぎ、2019年3月から、長さ163kmのリアス線として沿岸を1つに結んだ。