日常を奪われ悔しさと憤り…「消防の指示通りできていれば」新居浜・給食のリンゴ食べ園児重体事故から1年 両親の思い
愛媛・新居浜市の保育園で、給食のりんごを食べた当時生後8カ月の男の子が意識不明の重体となった事故から5月16日で1年。男の子の名前は康至(こうし)くん、1歳8カ月になった今も意識不明のままだ。自宅で24時間態勢で看護を続ける家族が今の思いを明かしてくれた。 【画像】お兄ちゃんを追いかける康至くん
康至くんの事故から1年 失われた日常
好奇心旺盛で3歳上のお兄ちゃんがしていることに興味津々。ひたすらその後を追いかける元気な男の子。 当時、生後8カ月の康至くんだ。つかまり立ちがブームでまだ人見知りもなく、愛らしい笑顔で、誰からも好かれる子だった。 事故から16日で1年。1歳8カ月になった康至くんは今も意識不明のままだ。声を発することも、両親の声掛けに反応することもない。自発呼吸ができず人工呼吸器に頼り、食事ができないため鼻から胃に通した管で体に栄養を送る。 当たり前の日常は、「あの事故」によって、一瞬で失われてしまった。 康至くんの父親は当時のことを「(一報を聞いた時は)大したことないだろうという気持ちで向かっていたんですけど、病院に着いたら妻の方からも『心臓が止まってしまったらしくて』というのを初めて聞いて…。『えっ』てなって。『なんで』っていうところからのスタートでしたね」と話す。
24時間365日の看護 家族の奮闘
2023年5月16日、康至くんは、5月9日に初登園したばかりの新居浜上部のぞみ保育園の慣らし保育中に、給食で出された長さ7mm厚さ3mmほどの刻んだ生のリンゴを食べて意識不明の重体となった。 康至くんの母親: 病院に迎えに行く感覚で行ったんですけど、先生(医師)が出てこられて。初めてそこで「今、心臓が動き出しました」っていうことを聞いて。今まで止まってたのかと思うとすごい、そこでいったんゾッとしたのをすごく覚えてる。そこで本当にちょっとこれは生きるか死ぬかの瀬戸際にいるんだなっていうのを自覚して、もうそっからは祈ることしかできなかった。ドクターヘリで松山の愛媛県立中央病院に運ばれる時が一番ちょっと覚悟した段階ではあって、もう難しいかもしれないっていうことを自覚した。 一命を取り留めた康至くんでしたが、事故後、家族の生活は一変し、病院と自宅を行き来する日々が始まった。 康至くんの母親: 家と病院との二重の生活でお兄ちゃんもいるので上の子のケアもしながら下の子のケアも本人のケアもしながらっていう二重の生活。それはすごく大変でしたね。もう何してるかちょっとわからない感じ。 病院での付き添いを泊まり込みで交代しながら続けて、2023年12月、「再び家族で一緒に生活できるように」とバリアフリーに対応した家に引っ越し、退院。自宅での看護をスタートさせた。 昼間はリハビリや入浴介助のサービスを利用しながら、夜は必ず夫婦どちらかが康至くんにつき添い、今も24時間態勢での看護が続いている。2時間に1回体の向きを変えてあげる体位変換と合わせ、痰(たん)の吸引が2時間に1回。4時間に1回栄養剤の注入があるなど時間に追われバタバタな日中を過ごし、合間に自分たちのご飯を食べている。 夜はお兄ちゃんが帰ってくるので、上の子と一緒に合わせてケアするなど、全て自分たちでやるようになった。