第8回 セネタース勢活躍の東軍 vs 鶴岡、藤村で見せた西軍|「対決」で振り返るプロ野球史
占領軍が球場を接収。それでも何とか神宮確保
接収された神宮球場は、「ステートサイド・パーク」となり米軍専用に。47年には照明設備も
1945年8月15日、戦争は終わった。戦争中でも、この年の正月までプロ野球が行われていたことは、第7回でお伝えしたが、この野球への「愛と情熱」があったからこそプロ野球再興への道は、すぐに用意された。 とにかく、日本が事実上、アメリカ軍の単独占領となったのが、野球の世界には幸いした。なにしろ野球はアメリカの国技なのだから。それまで逼塞(ひっそく)状態にあった日本の野球はこれで堂々と表舞台に登場できるワケである。 こういう状況をいち早く察知するのは、もちろんメディア。終戦時、読売新聞内には、藤本英雄(あの明大出の大投手)、呉新亨(萩原寛)、黒沢俊夫、宮下信明、中村正美の巨人5選手がおり、調査局に勤務していた。彼らは、戦前の日本野球連盟の元首脳たち、鈴木龍二、鈴木惣太郎らが、すぐにプロ野球復興に動き始めたのを知っていた。いつ、どんなゴーサインが出るのか、期待に胸をふくらませて待っていた。 まず、10月22日、関西の球団が会合を持った・・・
本文:2,493文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
週刊ベースボール