震災対応で馳浩県知事が北國新聞とバトルの理由 「紙面を使って揺さぶりをかける試合巧者」
石川県の馳浩知事(62)が1月22日以降、能登大地震への対応をめぐって地元紙「北國新聞」に手厳しく批判されている。以前の彼は同紙から身内のごとく甘やかされてきたが、突如、無情にも手のひらを返されてしまったわけだ。両者の間で何が起きているのか。 【写真】「ホントに仮設住宅!?」の声が続々 話題の「ムービングハウス」驚きの内部写真 ***
プロレスラー出身の馳知事は、いわゆる“タレント政治家”として全国的な知名度を誇る。 「金沢市で育った馳さんは専修大学を卒業後、同市にある母校の星稜高校で国語の教諭を務めました。その後、プロレスラーに転じて新日本プロレスなどで活躍してから1995年、同じ石川県出身の森喜朗元総理(86)に誘われ、参院石川県選挙区で初当選を果たしました」(政治部記者)
「馳さんに対して好意的に報じてきた」
以降、森元総理の舎弟分として2015~16年には文科大臣を経験。衆参合わせて約27年間の国会議員生活を送った後の22年、石川県知事となった。 一方の金沢市に本社を置く北國新聞は、石川県で段トツのシェアを誇る地元紙だ。現在、圧倒的な取材力を生かして能登大地震の報道をリードしている。 「保守的な論調の北國新聞は森元総理と近しく、事あるごとにご意見番として紙面に登場してもらっています。その延長上で森元総理の舎弟分である馳さんに対しても、これまで極めて好意的に報じてきました」(石川県政関係者)
度が過ぎる擁護
昨年、馳知事が講演の壇上で、東京五輪の招致活動に際して内閣官房機密費を使いIOCの委員たちに「20万円のアルバムを渡した」と口を滑らせ、炎上した騒動があった。 北國新聞はこれを受けて同年11月22日付の1面コラムで〈伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。知事も分かっているはずである〉と書いた。要するに、機密費が実際に使われたのかどうかは問題視せず、馳知事が口を滑らせたことがうかつだっただけだと、報道機関としてはいささか度が過ぎる擁護を展開したのだ。 しかし――。 「北國新聞は22日以降、朝刊1面の能登大地震に関する連載の中で、ネガティブキャンペーンのごとく馳知事を攻撃し出しました。批判の内容は、元日の地震発生時に東京の自宅で過ごしていたことや、初めて被災の中心地の能登半島入りしたのが14日になってからだったことなどです」(同)