《谷崎潤一郎賞・中央公論文芸賞 贈呈式》川越宗一「どうやら小説を書けていた」佐藤賢一「性懲りもなく足き続ける」
第18回「中央公論文芸賞」受賞作品は、浅田次郎、鹿島茂、林真理子、村山由佳(五十音順)の四氏による厳正な選考の結果、川越宗一さんの『パシヨン』(PHP研究所)と、佐藤賢一さんの『チャンバラ』(中央公論新社)に決定しました。10月19日、都内で行われた贈呈式の様子と、『婦人公論』11月号に掲載された受賞のことば・選評を掲載します。 【書影】中央公論文芸賞を受賞した『チャンバラ』(著:佐藤賢一) * * * * * * * 第18回「中央公論文芸賞」受賞作 『パシヨン』(PHP研究所)川越宗一 『チャンバラ』(中央公論新社)佐藤賢一 正賞── 賞状 副賞── 100万円、ミキモトオリジナルジュエリー 2022年10月19日(木)東京・有楽町の東京會舘にて、第59回谷崎潤一郎賞と第18回中央公論文芸賞(中央公論新社主催)の贈呈式が行われました。 谷崎潤一郎賞は、津村記久子さんの『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)、中央公論文芸賞は川越宗一さんの『パシヨン』(PHP研究所)と佐藤賢一さんの『チャンバラ』(中央公論新社)が受賞。 選考委員を代表して、谷崎賞は川上弘美さん、中央公論文芸賞は『パシヨン』について村山由佳さん、『チャンバラ』について林真理子さんがそれぞれ講評を述べました。 中央公論文芸賞の受賞の言葉と各選考委員の選評を紹介します。 (谷崎潤一郎賞の受賞の言葉・選評は、中央公論.jpにて掲載しています)
《受賞のことば》 ◆どうやら「小説」を書けていた 川越宗一 小説というものが、まだよく分かっていません。 見よう見まねで小説を書いている、というのが偽らざる実感です。小説とはなんぞやと議論を吹っかけられたら裸足で逃げ出すしかないですし、「おまえの小説はなってない」とか「小説ではない」とか言われたら、「そうかもしれません」と答えるでしょう。 分からないままぼくが書いているのは歴史小説で、これは少し確信があります。自分自身が生きている現代という時代について、ぼくなりに考えてみたいからです。 現代は、さっきや昨日あたりにとつぜん始まったわけではありません。過去から連綿と受け継がれてきた歴史の帰結です。過去は現代の原因であり、また現代とは異なる環境だからこそ、現代と変わらぬ人間のありようがより強く浮かび上がっていると感じます。我ながら回りくどいとは思うのですが、過去を通して現代を見てみたいのです。本作では、江戸時代初期にあったキリシタンへの弾圧を題材にしています。 弾圧はとてもむごく、それまで数十万人もいたキリシタンは公式にはゼロになりました。信仰に殉じた人、棄てた人、密かに守り続けた人。いずれも壮絶な選択だったはずです。ですがぼく自身は特定の信仰を持っていません。弾圧については「ひどいできごとだ」と心から思えますが、弾圧された人々の痛みが「分かる」とはとても言えません。信仰を、また信仰を中断させられる痛みを少しでも理解したくて、執筆中は自分なりにいろんな本を読んだり、あれこれ考えていました。 結果、分かろうとするのをやめました。 身近な引き比べで恐縮ですが、ぼくは親しいはずの家族や友人の、その内心を十分に理解しているわけではありません。彼ら彼女らの食べ物の好き嫌いや趣味、どのような理不尽を憎み、なにを善としているか。そのあたりは何となく知っているつもりですが、感情が行き違ってムッツリしてしまうことも少なくない。顧みればぼく自身、きょうはラーメンを食べたいだとか、こんな小説を書きたいだとか、身に湧く衝動の逐一を論理的には説明できません。 ぼくは信仰について「理解」しようとしていました。言い換えると自分なりの理屈で納得し、共感できる対象として捉え直そうとしていて、つまりは懸命に生きる他者を自分の勝手な感覚に押し込めようとしていたわけです。それが理解と呼べる行為か疑問を抱き、また、とてもおこがましいことをしようとしていた、と恥じました。だから、信仰について理解する、分かろうとするのをやめました。 ただ、分からないなりにも他者の感情を想像してみたくもありました。「同じ人間だから」という理屈は個々人をむりやり同質の集団に取り込むような荒っぽさがあるので持ち出したくないのですが、地域なり国なり地球なり、人間は同じ社会を共同して営んでいます。ぼくの友人や家族は、ぼくとそれなりに平穏な関係を保ってくれていますし、ぼくもそうしようと努めています。完全には理解しあえていない他者どうしが、理解できないなりに互いの喜怒哀楽を想像しあい、共存の努力をしているのが現代ではないか。その鏡像として、共存ではなく排除に向かった時代を書けないものか。そんな意図で、ぼくは本作を書きました。 手に負えぬテーマだと七転八倒し、史実を勝手に整形しながら自分の物語に都合よく当てはめてよいかと悩み、関係するたくさんの方に助けられ、なにより読者の方の感想に支えられて(本作は新聞連載でした)、なんとか本作を書き終えることができました。 といっても冒頭で申した通り、見よう見まねの小説です。達成感や愛着と同時に不安も尽きなかったのですが、このたび中央公論文芸賞をいただいたことで、どうやら小説を書けていたと安心できました。望外の光栄を励みに、これからも小説を書いていこうと思います。