本田の背番号「02」はJリーグではNG メキシコでは一般的?
「もともと『18』は与えられた番号やったし、あんまり好きじゃなかった。じゃあ好きな番号って何と聞かれれば、サッカーやったら『10』になるけど、もう(香川)真司で決まっている。もうちょっと面白い番号はないかなって考えたときに、『3』か『4』かなと思ってね。 実は『1』とも思ったけど、登録上、厳しいんちゃうかと。それで最初はコマちゃん(駒野友一)に譲ってくれへんって電話で聞いたんだけど、よほど『3』にこだわりがあるみたいで軽く断られた。オレも喧嘩してまで『3』にしたかったわけじゃないから」 最終的には当時の「4」の持ち主、DF栗原勇蔵(横浜F・マリノス)が快諾。以来、攻撃系の選手がつけるイメージが薄い「4」を、本田は自分の色に染めてきた。胸中にはギラギラした思いが渦巻いていた。 「とにかく僕は常識が大嫌いなので。周囲から『普通は』と言われると、『普通って何や』とそれこそ一日中考えてしまうので」 こう語ったこともある本田にとって、日本人が初めて加入したセリエAの名門ACミランで、エースの証である「10」を選んだのも当然の流れとなる。普通は移籍できない、普通は背負えないという固定観念を破壊していくことで、新たなパワーを得られるからだ。 同じ図式が、右サイドバックの象徴である「02」が空いていたパチューカにも当てはまる。移籍会見後に更新した自身のツイッターで、本田はパチューカを選んだ理由をこう呟いている。 「無難な選択をしようとしていた自分に腹が立っていたんです。そんな自分が退屈で。。そんな中、日々熱くなれそうなチームだったのがまだまだ僕のことを知らないメキシコでありパチューカでした(原文のまま)」 サッカー界で奇異な背番号といえば、大きなそれが圧倒的に多かった。たとえばブラジル代表の怪物ロナウドは、望んだ「9」をフィリッポ・インザーギがつけていたという事情もあり、2006‐07シーズンに加入したACミランで「99」を背負った。大好きな数字を2つ並べた形だ。 同じくブラジル代表で一世を風靡したロナウジーニョは、2008‐09シーズンに加入したミランで「80」をつけた。希望した「10」を別の選手がつけていたため、生まれた1980年の下二桁を取った。 この方式はトレンドとなり、ウクライナ代表で1976年生まれのアンドリー・シェフチェンコが「76」を、イタリア代表で1992年生まれのステファン・エル・シャーラウィは「92」をつけている。 一の位と十の位を足して希望の番号にする選手も多い。チリ代表として活躍したイバン・サモラーノはインテル時代、前出のロナウドに譲った「9」への未練から「18」を、それも「1」と「8」の間に小さな「+」を記して背負っている。日本ではセレッソ大阪に復帰した清武弘嗣の「46」がそれだ。 こうした過去の流れにも抗うかのような本田の「02」。普通は右サイドバックが……という声が耳に入るたびに常識にとらわれた違和感を駆逐し、新天地パチューカで輝きを取り戻すためのパワーに変えていく。 (文責・藤江直人/スポーツライター)