有罪立証に強気な検察、3度の「誤算」…「証拠捏造」指摘も聞こえぬ反省
そして迎えた再審公判。静岡地検だけでなく、上級庁にあたる東京高検でも多数の検事を「袴田班」に投入。再審開始の決め手となった衣類付着の血痕の「色」を巡り、あらゆる捜査を急ピッチで進めた。
死刑囚が再審無罪となった過去の4事件と異なり、自白などの供述ではなく多数の客観証拠で有罪立証が可能だと考えた検察側。「再審とはいえ、公開法廷で正々堂々と証拠を示せば裁判所にも理解してもらえるはずだ」と強気で臨んだ。だが、判決は「証拠を捏造した」と断定し、無罪とした。3度目の「想定外」が検察を襲った。
検察の「自信」と裁判所の「認識」のギャップが大きく表れた今回の事件。「証拠捏造」を再三指摘されても、幹部らの口からは捜査や公判の「反省」は聞こえてこない。
1966年の初公判から一貫して「犯人ではない」と訴えた巌。人生の多くを「容疑者」「被告」「死刑囚」として生きることを余儀なくされ、翻弄(ほんろう)された。この半世紀の間に、司法が誤った判断を正し、救う機会はなかったのか。
死刑とした確定審の静岡地裁判決でさえ、長時間にわたる捜査側の威圧的な取り調べを問題視しており、捜査には疑いの目が昔から向けられていた。
26日に静岡地裁であった再審公判。裁判長の国井恒志(こうし)(58)は、巌の姉・ひで子(91)に「無罪判決は自由の扉を開けた」と語りかけ、「長い時間がかかったことは、裁判所として申し訳ない」と謝罪したが、どのような点を反省しているかは具体的に述べなかった。
元東京高裁部総括判事の門野博(79)は「過去の審理では『犯行着衣』として突然示された5点の衣類に目を奪われ、証拠の吟味がおろそかになってしまったのだろう」と分析し、「裁判所が検察側の言い分を無批判に許容してきた側面もある。大きな教訓とすべきだ」と語った。(敬称、呼称略)