慶應義塾高、慶大の“レジェンド”元南海右腕・渡辺泰輔さん “最後の取材”で感じたこと
「塾高は強かったですねえ」
ただ、生ぬるい活動をしていたわけではない。甲子園出場のため、猛練習を積んでいた。 「投手というのは、投げることを好み、嫌でも走らないとイカン。毎日、グラウンドでは50メートル、100メートルダッシュを繰り返し、投球練習は1日で250球は投げていましたね。大学、プロを通じて、疲れを感じることはあっても、肩・肘を痛めた経験は一度もありません」 2023年夏。後輩が甲子園で全国制覇を遂げた。慶大は秋のリーグ戦を制し、11月の明治神宮大会で4年ぶりの優勝。慶應イヤーとなった。 「今年は大学も勝ったので、本当に良かったですねえ(笑)。夏の仙台育英との優勝戦は、地元の三田会(慶應義塾の卒業生の組織)のメンバーの家に7~8人が集まり、テレビで見ていました。塾高は強かったですねえ。ビックリしました。型にはまらず、ノビノビとプレー。個性を生かす考え方を大事にするスタイルは、私がいたころと変わらんですよ」 約1時間のインタビュー。渡辺さんは夫人が準備したお菓子、アイスクリームをペロリと平らげていた。7月に81歳となった渡辺さんは、元気な様子だった。帰り際は、杖を使って立ち上がり、玄関まで見送ってくれた。 取材から13日後(12月21日)、娘さんから電話が入った。20日に体調が急変し、亡くなったとの訃報だった。娘さんは言った。「最後の取材。母から聞きましたが、父は高校時代の話ができて、喜んでいたそうです」。言葉を失った。渡辺さんは面倒見の良い、思いやりのある人だった。いつも、周囲のことを気にかけていたのが印象的である。2度のインタビューを通じて、多くを学ばせてもらった。 2005年春。慶應義塾高は渡辺さんがエースだった1960年以来、45年ぶりのセンバツ出場を遂げた。当時、監督として率いていた上田誠さんは「わざわざ日吉台球場に来て、指導していただきました。ご冥福をお祈りするばかりです」と、感謝した。今夏の甲子園優勝を見届けることができたのは、何より、幸せな人生だったはず。これからも、天国から温かい目で後輩たちを見守っていく。合掌。 文=岡本朋祐
週刊ベースボール