なぜ「日本兵1万人」が消えたままなのか…硫黄島に上陸してわかった「ひとつの答え」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
遺骨収集を妨げる側に立っていたのは……
戦没者2万人のうち1万人の遺骨が見つからないミステリー。その答えを求め続けた僕は、次のような結論に至った。 戦後の冷戦下で、硫黄島は米軍が核兵器を隠す秘密基地と化していった。核の機密を保持するため、島民帰還を不許可にした。同じ理由で遺骨収集も制限された。核兵器は返還前に硫黄島から撤去されたが、日米両政府は返還時に、「有事核貯蔵」について日本側が黙認したと解釈できる曖昧な機密文書を残した。旧島民の帰還不可方針は返還後も継続することになった。日米合意の中には自衛隊施設の米軍使用を認める項目もあり、1980年ごろから米軍側の要求を背景に基地の拡充が進んだ。さらに1990年代に入ると、本土の基地負担を軽減するため、基地周辺地域に深刻な騒音問題をもたらすFCLPが本土から移転。島民の帰還不許可方針を継続する理由が増えることになった。 一方、遺骨収集団も、年数回しか上陸できないという状況が固定化していった。収集団が365日、島内で作業することは、旧島民の再居住は可能だという証左につながるからだ。収集作業が緩慢に進められた結果、多くの遺骨が土に還ってしまった。 このような現状に至った背景には、メディアの遮断もあった。報道関係者も例に洩れず、上陸の禁止対象だった。結果、硫黄島に関する国民の知識は更新されず、戦争で荒廃しきった、飲み水すらない地獄のような島というイメージが一般化した。そうした中で、旧島民が帰れない現状を問題視する国民の声は、消失していった。 遺骨収集団員として硫黄島に渡った僕は知っている。硫黄島は、地獄ではない。戦前は1000人以上の島民が豊かに暮らす農業の島だった。今も大勢の自衛官や作業員が生活している。雨水を飲料水にする浄水施設や発電施設があり、本土同様の生活をしている。衛星放送を見ることができるし、携帯電話も通じる。 しかし、メディアが盛んに報じるのは、飲み水がない中で死よりも苦しい生を生きた兵士たちの苦闘や、現在も僅かに残る戦車や大砲の残骸ばかり。しかし、実際の硫黄島は地獄の無人島ではなく、大勢の隊員らが本土並みの日常生活を過ごし、しかも風光明媚な美しい景観が広がる楽園のような島なのだ。 そうした報道をしてこなかった一人が、僕だ。むしろ、硫黄島は激戦当時のまま時が止まっているという印象ばかりを社会に与えてこなかったか。 硫黄島戦没者1万人が見つからない原因を作った側に、僕はいたのだ。
酒井 聡平(北海道新聞記者)