『極悪女王』の時代に日本を熱狂させた“昭和55年組” 全日本女子プロレスで起きた本当の出来事
1980年代中盤、空前の女子プロレスブームが日本中を席巻した。時代の寵児としてブームを牽引したのが長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュギャルズなら、敵役としてファンの憎悪を買うと同時に、クラッシュにさらなる光を当てたのがダンプ松本だった。 【フォト】「極悪女王」配信記念イベントの様子 豪華キャストが集結 Netflixで大ヒット中のドラマ『極悪女王』は、ダンプの壮絶な人生を軸に、当時の熱狂を余すところなく再現してみせた。物語は実在の登場人物や実際の出来事をベースにつくられているが、これは同時にフィクションでもある。
たとえば、彼女たちが所属していた全日本女子プロレスは全日女子プロレスとして描かれ、架空の選手が登場したり、クラッシュと関わりの深い一部選手がまったく現われなかったり。物語は「昭和55年組」と言われるダンプと同期のレスラーを中心に進んでいくため、そうなるのも無理はない。本欄では、長与たちが入門した時代からドラマのクライマックスとなるダンプ引退試合まで、『極悪女王』で描かれた時系列に沿って、日本中を熱狂させた実際の出来事を振り返っていく。 80年(昭和55年)4月、長与、北村智子、大森ゆかりが入門。7月には松本香と本庄ゆかりが入門を許可された。松本と本庄はプロテストに何度も落ちていたのだが、当時の全女は2リーグ制をスタートさせたばかり。この興行形態は1年で幕を閉じるものの、ひとつの団体が2つのグループに分かれサーキットを行なうためにはより多くの選手が必要という恩恵にあずかったのである。 2月の北村を皮切りに、大森、長与、ダンプ、本庄ら55年組が、次々とデビュー。後発の松本には、営業部配属で宣伝カーの運転手を経てようやく到達したプロレスのリングだった。 早くから将来を嘱望されていた北村は12月に大森を破り、この年の新人王を獲得するとともに、81年(昭和56年)1月4日には全日本ジュニア王座を王座決定戦で奪取、初戴冠を成し遂げた。5月にはデビル雅美と全日本王座決定戦に臨むも、こちらの王座奪取には至らなかった。 この月、昭和55年組の多くがあこがれたジャッキー佐藤が引退。ラストマッチには先にリングを下りていたマキ上田も駆けつけ、2人で大ヒット曲『かけめぐる青春』を披露した。このとき、全女の頂点であるWWWA世界シングル王座は2月にジャッキーを破った横田利美の腰に巻かれていた。 9月21日には、内臓疾患で欠場の長与が復帰し、北村の全日本ジュニア王座に挑戦。試合は王者が2度目の防衛に成功も、北村はベルトを返上した。 10月には長与が地元・長崎で初の異種格闘技戦を敢行。この勝利で勢いづいたか、年末には1年後輩の立野記代を破り、81年の新人王を獲得した。