「失敗の世代」から「黄金世代」へ。”メッシと仲間たち”はいかにして世界一の称号を手にしたのか――
状況を一変させたのが18年就任のスカローニ
しかしこの頃から、ペップ・グアルディオラ率いるバルセロナでメッシが活躍すればするほど、母国のメディアやサッカーファンの間で「代表では輝きを失う」といったメッシへの厳しい意見が出始める。そして10年W杯と自国開催の11年コパ・アメリカでノーゴールに終わったことで批判の声はさらに強まり、国内ではアンチ・メッシの風が吹き荒れた。 そんななか、11年のコパ・アメリカ終了後に代表監督に就任したアレハンドロ・サベーラは、メッシをキャプテンに任命。指揮官の思いに応えたメッシは、14年W杯の南米予選で文字通りチームを背負って奮闘し、ブーイングを拍手喝采に変えてみせたのだ。 ようやく母国のサポーターに受け入れられたメッシだったが、苦難は終わらない。14年W杯、15年と16年のコパ・アメリカと3大会連続の準優勝にショックを受け、代表引退を表明したのだ。その後周囲の説得などもあって撤回したものの、チームは下降線を辿り、18年W杯ではわずか1勝しか挙げられずにベスト16敗退に終わった。 そんな状況を一変させたのが、かつて06年W杯などでメッシとともにプレーしたリオネル・スカローニだ。18年11月に就任した青年監督は、個を重視したスタイルに大きく舵を切る。この転換が功を奏し、21年コパ・アメリカで、A代表としては28年ぶりとなるタイトル獲得に成功。ようやくプレッシャーから解放された“メッシと仲間たち”は、続くカタールW杯では、エンソ・フェルナンデスやフリアン・アルバレスら新世代の若手とも融合し、悲願の世界王者に輝いたのだ。 優勝後、ディ・マリアは「君がどれだけこのタイトルを望んでいたかよくわかっている」と涙目で語りながらメッシを抱きしめ、オタメンディは自身の身体にW杯のトロフィーに触れるメッシの姿をタトゥーで刻み込んだ。喜びも悲しみも分かち合ってきた同世代の強固な絆と、母国のために重圧を一身に背負ってきたメッシへの敬愛の表われだろう。 ワールドユース優勝から17年後に世界一となり、ついに黄金の輝きを放った“メッシ世代”。だが、大冒険の途中には、ワールドユースの初戦で控えだったメッシをスタメンで起用するよう監督に進言したパブロ・サバレタ、的確なパスでメッシを活かしたフェルナンド・ガゴ、そしてメッシ、アグエロ、ディ・マリアとともに“クアトロ・ファンタスティコス”(4人のファンタジスタ)と称されたゴンサロ・イグアインといった功労者たちがいたことを忘れてはならない。 文●チヅル・デ・ガルシア ※ワールドサッカーダイジェスト5月2日号の記事を加筆・修正
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