ル・コルビュジエの無茶苦茶な建物!? 豪邸建築家・岡田哲史さんの心をゆさぶった「世界一の豪邸」
「人々に感銘そして幸福感をもたらす建築を目指しています」という岡田哲史さん。細部まで心を尽くし、美を究めた建築は、世界的に高い評価を受けています。真摯に建築と向き合われる姿勢は多くのクライアントの心を打ち、同じ依頼者からの再オーダーも多いそう。 そんな岡田さんが惹かれたという「世界一の豪邸」と、その理由を語っていただきました。 【写真集】豪邸建築家・岡田哲史さんが心を震わせた!「世界一の豪邸」
岡田さんが選んだ“世界一の豪邸”は「サヴォア邸」(フランス)
「サヴォア邸は、これまでに3度訪れたことがあります。専門誌の連載で詳述する機会をもちましたが、ル・コルビュジエはサヴォア邸の計画段階から幾多の困難に立ち向かい完成までこぎつけていました。ものの本によれば、サヴォア邸はしばしば“住むための機械”を具現した傑作とされていますが、現実はさにあらずで、とても矛盾に満ちた産物だったのです。しかしそんな滅茶苦茶な建物でも、いまなお、その大胆不敵さは他を寄せ付けないほどの“ものの強度”別の言葉でいえば“存在感”を漂わせています。その実現に向け躍起になっていた建築家ル・コルビュジエの魂がひしひしと伝わってくる、そんな建物なのです」
「サヴォア邸」を設計したル・コルビュジエ
「サヴォア邸」を設計したのは、ル・コルビュジエ(1887-1965)。建築通でなくても1度はその名を耳にしたことがある方も多いでしょう。彼の建築は17点も世界遺産に登録されており、前川國男や坂倉準三ら日本の建築家も師事した偉大なる建築家。 彼は、スイスの時計文字盤職人の家に生まれました。家業を継ぐために彫刻と彫金を学びますが、時計産業の衰退、自身の視力の問題などで断念。在学していた美術学校の校長のすすめで建築家の道を志すことに。1908年にパリに渡り、以後はフランスを拠点に活躍します。 大学教育は受けずに著名な建築家の事務所に勤務するなかで現場の建築を学び、1914年に鉄筋コンクリートによる建築技法「ドミノシステム」を発表します。「ドミノシステム」は、スラブ、柱、階段のみが建築の主要な要素とする考え方。これにより建築はより自由で開放的な空間を実現できるようになりました。 1922年、従弟のピエール・ジャンヌレと事務所を構え、1923年に著作『建築をめざして』を発表。そのなかで「住宅は住むための機械である」と記しました。この言葉はコルビュジエの合理的で先進的な建築思想を象徴しています。また、建築だけでなく家具でも多数の名作を生み出したコルビュジエ。LCシリーズの家具はニューヨーク近代美術館に所蔵されています。
岡田さんにとっての「豪邸」とは?
「豪邸というと一般的には“裕福な方が住む豪奢な邸宅”ということになるのでしょうが、どうもその語義がしっくりこないため、私は“豪邸”を“豪胆な邸宅”と解釈しています。それをわかりやすくいえば“大胆不敵な家”あるいは“肝の座った家”ということになるでしょうか。別の見方をすると、「豪邸」とは“建築家を豪胆にさせてくれるほどの力を秘めた家”と解釈することができるかもしれません」と岡田さんは独自の豪邸論を語ります。