<わたしたちと音楽 Vol. 46>和田彩花 アイドルとフェミニズムの間で考えていたこと
大学でフェミニズムを学んで違和感の正体をつかんだ
――“女性らしさ”への違和感自体は、アイドルとしての活動以外でも感じることはありましたか。 和田:それまでは、仕事があるときに地元から東京に上京していたのですが、大学進学に合わせて住まいを東京に移しました。そこから社会に投げ出された感覚があって、女性という自分の性を意識させられることが多くなりましたね。女子大に通っていたので、異性の目を気にせずに好きな格好をしていたのですが、ピンクや花柄の洋服を着ていると夜道で声をかけられることが多くて怖くて……。「この格好がいけないのかな」と思ってジーパンとTシャツを着ていた日は声をかけられなくて。これは“女性らしさ”に感じている自分のモヤモヤと繋がっているなと思いました。でも、当時は周囲が勝手に考えている“女性らしさ”を押し付けられているのだというところまで言語化できていなくて、自分の生活とアイドルの仕事で感じる違和感の正体をずっと探って研究してきた感じですね。 ――そこから、その違和感の正体が解明したのは何がきっかけだったのでしょう。 和田:大学で、フェミニズムと出会ったことです。女子大だったので女子教育が充実していて、自立のためのキャリア形成を考える授業などもありましたし、私が専攻していたフランスの芸術の授業でも、性別によって芸術家がどう扱われてきたか教わりました。フランス文学の授業でシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』の「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な一節を知ったときには、「自分の違和感の原因はこれだったんだ!」と一番の衝撃を受けました。それからは、図書館でフェミニズムのいろいろな本を読み漁ったんです。
独立して目指したのは、みんなが自分らしくいられる世界
――そのときはアンジュルムに在籍していた時代かと思いますが、そうやってイ ンプットしていることとご自身のアウトプットにズレがある状態で過ごしていらっしゃったんですね。 和田:常に、気持ちとやっていることが正反対でしたね。アイドルは個人的な存在ではなくて社会的な存在だということを、正反対な考えを行き来しながら発見しました。どうにかアイドルの世界も変えられるんじゃないかって頑張ってみたけれど、1人では難しかった。自分がやりたいと思っていることは、今の会社に所属しながらでは実現できないと思ってグループからの卒業を決意したんです。 ――具体的には、どんな働きかけをしていたのでしょうか。 和田:プロデュースされる存在としてのアイドルでも、個々人で表現したいことは違うから、プライベートの時間も含めて個人が大切にされるといいなと思っていたんです。幼いことや無垢でいること、可愛らしさが重要視されて、大人になるのは良しとされていなかった。前髪を伸ばすことも受け入れてもらえなかったんですよ。そんな中で、「なぜ私らしい私を表現できないのか」というビラを作って、スタッフの方に手渡したり、草の根運動を続けていたんです。表立った反応はもらえなかったけど、「みんなで回して読んだよ」ってこっそり教えてくれたスタッフさんもいて。当時は2018年で、今よりも多様性やジェンダーという言葉が社会に浸透していなかったので、唐突だったのかもしれません。現在は徐々に変化も感じていますし、ヘアメイクや衣装といった表現もバリエーションが生まれているのではないでしょうか。労働基準も問題視されるようになりましたし、芸能事務所がメンタルヘルスの相談窓口を設けることも増えてきていると聞いています。 ――独立してソロになる決心をしたときには、どういうメッセージを、誰に向けて発信したいという思いがあったのでしょうか。 和田:自分より若い世代の人たちですね。グループに所属しているときにはフェミニズムについての発言は全てカットされていたんです。「女性の在り方を考えたい」というのがギリギリのラインでした。でも私はアイドルとフェミニズムの問題を考えたいし、みんなが安心して働ける労働環境を目指しています。独立してそういう発言をしていったことで一番驚いたのは、ファンの方が応援してくれたことでした。SNSではまだ声をあげる女性を良く思わない人たちもいますが、味方がたくさんいるのもわかって、この人たちがいれば発信しても大丈夫だと思えました。