外国人も絶賛「真田さんの英語力」本当に凄い点、「ネイティブ並み」とは違う説得力がある
例えば営業マンが大勝負の商談をAIに任せたとして、AIがどんなに流暢なプレゼンをしてくれたとしても、何か重大なものを伝えられないような不安がまとわりつくのではないでしょうか。 高校生の男子が好意を寄せている女子に交際を申し込む時、これをAIに依頼するとさぞかし洗練された言葉を駆使してくれるとは思いますが、それははたして男子高校生の告白としてふさわしいのでしょうか。相手の気持ちを動かせるのでしょうか。
このAIを使った時に感じる「何か欠けている感じ」こそ「オーセンティック」なのだと思います。なかなか表現しにくいのですが生きた人間の心から発せられる言葉だけが持つ力のようなものがあり、人は誰もそれを感じる能力を備えています。 この会話の中で感じるオーセンティックな印象というものは、たとえ外国語であっても感じとることができます。 今回「SHOGUN」を観た私個人の感想になってしまいますが、日本人俳優陣の日本語での演技がこの作品のクオリティを高めているのは間違いありません。
私は日本語がある程度わかりますが、まったく日本語がわからず字幕を追っている英語話者にとっても、セリフの声のトーン、抑揚や速度、間合いなどから、その俳優の演技は伝わってくるものです。吹き替えの声優さんもむろん素晴らしいのですが、やはり演じている当人の声というのはこれもまた「オーセンティック」な印象を受けるものです。 時代背景を理解した俳優が台本を読み込み、監督と演技について議論を交わし、何テイクも撮ったなかで最高のカットをつなげて作られた1本の作品だからこそ、たった数秒のセリフにも我々は引き込まれるのだと思います。
芸術的な仕事もAIが奪ってしまうことを心配する声もありますが「SHOGUN」を見るとその心配はあまりしなくていいのではないかと思えます。 「SHOGUN」は、1980年にも一度アメリカで制作されています。こちらも一定の評価を得たのですが、冒頭に書いたような「アメリカ人がなんとなくイメージしている日本っぽい世界」を描いており、役者も全員英語を話すというやや微妙な作品でした。 その作品の評価を一変させた今回の真田版「SHOGUN」ですが、基本的に同じ原作なので前作との違いはごくわずかなものばかりなはずです。それでも今回の作品は前作をはるかに超える名声を得たのです。