『らんまん』神木隆之介が演じた植物学者も連載の科学雑誌が創刊100周年 編集長が語る“100年史と日本の未来”
全国高校野球大会の舞台となる甲子園球場。高校球児にとって憧れの地でもある大球場が建設されたのは100年前、1924年のことである。歴史的熱戦が繰り広げられてきた大球場建設と同じ年に産声をあげたのは、小中学生向けの月刊科学雑誌『子供の科学』(誠文堂新光社)だ。 ■【画像】『らんまん』神木隆之介のモデルの植物学者が100年ほど前に描いた美しすぎる紅葉画■ 2024年9月に創刊100周年を迎える、こちらの雑誌。日本で出版され続けている科学誌として、最古の雑誌である。同誌13代目編集長を務める土舘建太郎(つちだて・けんたろう)さんに、弊サイトは話を聞いた。 同誌の編集部を訪ねると、土舘編集長がまず見せてくれたのは、100年前に出版された創刊号だ。誌面を開くと、そこには雑誌の創刊メッセージが記されている。 「世の中には、研究者の方が知っているたくさんの面白い話があります。しかし、それを子どもたちに伝える場は限られています。読者である少年・少女に代わって取材へと出向き、最新の科学をわかりやすく伝えるというのが雑誌創刊の柱となるコンセプトの1つです。これは今でも変わりません」(土舘編集長) 創刊時の編集長は、東京帝国大学理科大学(現・東京大学理学部)を卒業した科学ジャーナリストの原田三夫氏。雑誌の刊行以前から、『最新知識子供の聞きたがる話』などのシリーズ本を執筆して出版するなど、児童向けの科学分野をはじめ、科学ジャーナリストとして出版界で活躍していたという。 「雑誌刊行の前年である23年9月1日には、関東大震災が起きました。震災から1年で、都市機関は大きく復興が進み、新たな建物や道路などが整備されました。それを目の前で見ていた都市部の子どもの中には、復興に使われている技術を知りたいと感じた子も多かったはず。そんな時代背景も後押しして、原田三夫は雑誌を出版したのではないかと思います」(前同)
■誌面にはエジソンら歴史上の偉人の名前が登場
100年前に作られた80ページほどからなる創刊号を眺めてみると、記事の多くには執筆者として原田氏の名前が記されている。編集長としてのみならず、科学の専門家、そして現場を取材する記者としての顔も持っていたようだ。また、当時の雑誌の中には、誰もが知る歴史上の偉人の名前もあった。 「創刊号にも名前が載っているのは当時77歳、発明王として知られるエジソンです。84歳でこの世を去った際には『子供の科学』でも特集が組まれました。それとNHKの朝ドラ『らんまん』(23年)で神木隆之介さん(30)が演じた槙野万太郎のモデルであり、“日本の植物学の父”とも呼ばれる牧野富太郎さんによる連載も、25年から始まっています」(前出の土舘編集長) 朝ドラの主人公のモデルが連載していたとは、100年の歴史を誇る同誌ならではだろう。そんな歴史ある編集部で働く土舘編集長にとって、印象深い特集は、なんなのだろうか。 「太平洋戦争前夜や戦時中に発売された雑誌には、防空壕を掘ったり、本土決戦に備えたりする子どもたちの様子が特集されており、当時の日本の状況がリアルに伝わってきます。 それと東日本大震災でしょうか。放射線の研究者に取材して特集した“福島第一原発で起きていること”を掲載した号は完売。読者から“正しい情報が何かわからない中で、わかりやすく伝えていただいてありがたい”との意見が編集部には寄せられました」(前同) 科学好きな少年・少女とともに歩みを進めてきた『子供の科学』。雑誌不況や読書離れが進む現状をどのように捉えているのだろうか。 「やはり、書店が街中からなくなっているというのは苦しいですね。自分たちの作った雑誌が読者の手へと渡りにくくなっているのを日々、感じています。YouTubeなどの動画コンテンツやゲームはやっぱり面白いですから、スマートフォンなどに子どもたちの時間を奪われ、紙の雑誌を手に取ってもらうのは年々、難しくなっている印象です」(同)