「結婚式の最中」に「血みどろの戦い」を繰り広げた「零式観測機搭乗員」が、「海軍に騙された」と語ったワケ
私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である。日本人が体験した未曽有の戦争の時代をくぐり抜けた彼ら、彼女たちはなにを語ったか。 【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…!
留学生のために奨学金を創設
もう22年も前のことだ。2002年4月、私は戦時中、零式観測機(二人乗りの複葉水上機)搭乗員だった大西貞明(元少尉)のインタビューのため、待ち合わせ場所として指定された京都宝ヶ池プリンスホテル(現・ザ・プリンス 京都宝ヶ池)のロビーにいた。大西は、何か会議があってそれを済ませてから私のために時間をとってくれるという。 待つことしばし、大西が、茶道裏千家家元・千宗室(現・玄室、元海軍飛行専修予備学生十四期・徳島海軍航空隊特攻隊員)や京セラ会長・稲森和夫をはじめ、錚々たる京都の文化人、財界人と一緒に出てきた。それと、小柄な若い女性が一人。 聞けば、この女性は23歳。新疆ウイグル自治区の人で、なぜか江戸時代の日本文学、なかでも井原西鶴に興味を持ち、ウルムチからはるばる京都府立大学文学部に留学に来た。女性の両親は公立高校教師だが、それまで貯えた全財産を、娘の夢の実現のために投じたのだという。 そして、京都市内の中華料理店でアルバイトをしていたところ、たまたま客として訪れた大西の妻・道子と出会い、話を聞いた大西が、 「ウルムチから井原西鶴の勉強に来たとは感心な」 と意気に感じ、京都財界に働きかけて、彼女のために「国際善意基金奨学金」を創設することになったのが、この日の会議だった。 大西は、忠臣蔵で知られる祇園一力亭で、得意の「月の砂漠」を唄い、芸妓に「ここでこんなに上手に唄わはったんは、(大石)内蔵助はん以来どすえ」と誉められたのが自慢だったが、そんな歴史に裏打ちされた精神でもあろうか、大西や、呼びかけに応えた京都財界の懐の深さに驚いたものだ。