宮藤官九郎×大泉洋による特別ドラマの評価は? なぜクドカンのリブート作品が相次ぐのか? 『終りに見た街』考察レビュー
クドカンによるリブート作が続く理由
クドカンといえば、昨年も黒澤明監督が『どですかでん』のタイトルで映画化されたことのある山本周五郎の小説「季節のない街」を現代にリブートさせた。その際は舞台を戦後のバラック街から現代の仮設住宅に置き換えており、いずれの作品でもクドカンのアイデアが冴え渡っている。 だが、そもそもなぜクドカンによるリブート作品が続いているのだろう。それを考えた時に、クドカン自身が先人たちの残した物語に現代人が学ぶべきものがあると信じているからではないかと思い至った。特に今回のドラマは放送後にSNSで流れてくる感想を見ていても、何もせずとも平和が恒久的に続くと信じて疑わない現代人に警鐘を鳴らすには十分な作品となっていた。 太一が手がけた『刑事七、八人』という某ドラマを彷彿とさせる作品名、NHK朝ドラ『あまちゃん』(2013)で“前髪クネ男”ことTOSHIYAを演じた勝地涼のコメディセンスをフル活用させたプロデューサー寺本の癖つよキャラ、そんな寺本の「東京大空襲をラブストーリーのフォーマットに落とし込んで、すれ違いとか腹違いとか韓流要素も加えちゃって、BL成分も匂わせちゃって、不時着したB29の操縦士と情報局の少佐が恋に落ちる」というもはや何の物語かわからないオーダーから覗く風刺など、前半はクドカンらしさが続く。 塚本高史、田辺誠一、神木隆之介、西田敏行、橋爪功とチョイ役に至るまで出演者も豪華。意外にもクドカン作品に初出演の大泉洋と、吉田羊が抜群のコンビネーションで見せる会話劇も面白く、私たち視聴者を油断させる。だが、太一たち一家がタイムスリップした途端にコメディ要素はどんどん薄まっていき、最後はハンマーで頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
一度始まった戦争に抵抗する術はない…。
SNSを見ていて目立ったのが「レオが可哀想」という感想だ。レオとは、太一が16年間も連れ添った愛犬のこと。だが、タイムスリップ後に太一たちは憲兵に見つかる前に家を捨て、泣く泣くレオを置いて行かざるを得ない状況となる。その後、太一が家を焼くために戻った時にレオは目の前で憲兵に殺されてしまうのだ。 今や多くの人がペットを家族の一員として大切に扱っていて、フィクションであっても動物が酷い目に遭う姿は見たくないという人も多い。だが、この頃、日本ではペットの犬や猫も供出させられ、毛皮や食肉に利用された。戦争はどんなに泣き叫ぼうとも、人々から大事な物を奪っていく。 戦時中の日本に突然放り込まれた太一たちも生き抜くためには、早々に家と愛犬を捨てざるを得なかったし、やがては困窮して配給を受ける代わりに、国民登録(「マイナンバーカードみたいな感じ?」というドキッとさせられる台詞もあった)をして戦地や軍事工場に行くことも甘んじて受け入れた。一度戦争が始まってしまえば、抵抗なんかできずおのずと巻き込まれていくということが分かる。 そんな中で、子供たちに心境の変化が現れる。新也が行方をくらませたかと思えば、突然軍服を着た姿で現れ「みんなお国のために働いていますよ」と東京大空襲の被害を最小限に留めようとする父親たちを痛烈批判。「天皇も人」「どうせ日本は負けるのに」と言っていた信子や稔も、日本が負ける未来を変えればいいと自ら進んでお国のために戦おうとする。