『ウルトラマン80』でブレイクした長谷川初範。喘息を克服するために通った佐山道場
◇厳しい結果となった初主演映画から学んだこと あるとき、『ウルトラマン80』の撮影で富士山のスキー場でロケがあり、そこで米軍基地の兵士の子どもたちと遭遇。すると……。 「僕、絶大なる人気者だったんです。それで、アメリカの子どもにも『ウルトラマン80』は受け入れられているんだ!って、うれしくなりました(笑)。じつは、中学の新人教師役の矢的先生は、当時の僕自身そのままだったんです。 高校時代に教育雑誌を扱う書店でアルバイトをしていて、その雑誌を読んで“新しい教育とは、いかに子どもたちに授業に興味を持たせて引き込むか”ということだと知って興味を持っていたんです。それで教師役をやるなら、そういう新しい教師像がいいなと。ちょうど学生運動が収まって、教育全体の流れが変わる時代の転換期でしたから」 とはいえ、理想と現実にはギャップがあった。 「当時の学校では、ヤンキーが教室の窓ガラスを割って、座り込んでタバコをふかしてましたから。見事に現実と反比例しちゃった。眉毛でも剃って演じればよかったかな(笑)。でも、作品を見返してみると、のびのびとした良い先生ですよね」 その翌年、彼の映画初出演作となる『幻の湖』に出演。『羅生門』『八甲田山』『八つ墓村』など、多くのヒット作を生んだ脚本家・橋本忍が自ら監督を手掛けた作品で、撮影期間は1年にもわたった。しかし、興行は振るわず1週間で公開は終了、長谷川にとって厳しい映画デビューとなった。 「たくさんあったテレビのオファーを全部断って、1年間、橋本先生とご一緒して。黒澤(明)組をはじめ、いろんな映画の裏話を聞かせてもらいました。『映画は芸術だけじゃない、博打性も必要なんだ』みたいな芸術論までね。記録にして残しておきたかったくらい。良い経験を積ませていただきました」 学生時代にアクターズスタジオに憧れ、精神分析を演技に役立てるために専門書を買って読み込んだ、という研究者気質の長谷川。そこで得た自身の演技論は「人間は多面的だから、いろんな角度からその役にアプローチすること」だという。そんな彼は、この映画の撮影中に見た十一面観音像にいたく感銘を受けたと話す。 「その十一面観音像を見た瞬間、改めて“人間って十一面あるんだなぁ”って実感したんです。今でも役作りのたびに思い出します」 ◇『101回目のプロポーズ』での存在感 1991年の大ヒットドラマ『101回目のプロポーズ』も、そんな彼の多面的な役作りが物語に生かされた作品。浅野温子が演じるヒロイン・薫の亡き恋人・真壁と、武田鉄矢扮する冴えないサラリーマン・達郎と薫を取り合う彼の上司・藤井の二役を演じて、大いにドラマを盛り上げた。 「第1話で亡くなった恋人を演じて。それで終わりかと思いきや、プロデューサーの大多亮さんに呼ばれて“そっくりさんでまた出てくるからな”と言われたときは驚きました。台本だけ読むと嫌味なセリフが多い悪役だったけど、僕はそう見えないように感じ良く演じたんです。 そしたら、スタッフサイドがそれを“いいな!”と思ったのか、どんどん薫との関係性が深くなる脚本になって……。最後は、どうやって薫と藤井を別れさせようって、急に藤井の奥さんの存在が出てきた(笑)」 ヒロイン・薫との別れのシーンのロケ地は、東京タワーのふもとにある芝公園。近くにあるカメラは1台のみで、あとは遠方からの引きのアングル。二人きりの空気感で撮影されたという。 「セミの声だけ響いて、周りには誰もいない。本番になったら、温子さんが泣いて泣いて……僕もつられて自然と泣きそうになっちゃって……すごく良いシーンになったんです。出来上がりを見たら、背景で流れているオーケストラの音楽の尺が本来より長いんです。 それを大多さんに聞いたら“シーンの途中で音が切れるから、もう一回オケの人たちを呼んで録り直したよ! 赤字だよ!”って(笑)。嬉しくもあり度肝を抜かれたことを今でも覚えています」 多くの映像作品で活躍した長谷川だが、2本目の舞台『おもろい女』以降は、舞台の仕事からは長らく遠ざかることに。その理由は、喘息の重症化。 「時間をかけて役作りできる舞台は、自分に向いていると思ってたんだけど……。『ウルトラマン80』が終わり20代後半から20年くらいは、人の3分の1の肺活量で生きなければならなかったから。喘息からサバイバルするために、タイガーマスクこと佐山聡さんのジムに通って格闘技で体を鍛えました。 美輪明宏さんの舞台『双頭の鷲』を機に舞台を再開し、お世話になった演出家の方をご招待したんです。そしたら、その方は『双頭の鷲』の初演をご覧になっていたそうで。“その舞台にお前が出てるなんて。こんなことって人生あるんだな”って言ってくださいました。美輪さんにも鍛えていただきましたよ。難しい台本でしたが、怒られながらも食らいついて」 芸能史に残る大物たちとの出会いもまた、長谷川を第一線で輝かせ続けた理由のひとつ。そして今、彼自身が若き俳優たちを輝かせる立ち位置となり、そのポジションを大いに楽しんでいるという。 「後輩たちの時代になり、そこに僕がどうやって合わせていくかを考えるのが面白い。そのためには古い考えに固執してちゃダメ。僕が若手のころは型にこだわって、先輩の前でかしこまってたけど、今の若い俳優たちは現場で自由に感性を開ける。良い時代になりました。僕は一緒に仕事をする若い人たちに、いつも言うんです。“どんな行儀の悪い格好しても構わないから”ってね。 一つひとつ積み重ねて作品をよりよくして、お客さまに感動と喜びを感じてもらうために俳優はいるんだから、それさえできていればいい。だから、現場ではいつもバカなことを言ってます(笑)。上の人間が明るいほうがみんなやりやすいから。のびのびと才能を伸ばす矢的先生のやり方が、今の時代に現実になった。やっと時代が追いついたのかもしれませんね(笑)」
NewsCrunch編集部