<三南プライド・’21センバツ>「待つ野球」しない 稲木恵介監督の信念 鳥取城北ときょう初戦 /静岡
第93回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)に21世紀枠代表として出場する三島南は20日の第2試合(午前11時40分プレーボール)で鳥取城北(鳥取県)との初戦を迎える。チームを率いるのは稲木恵介監督(41)。2013年の就任から選手の指導だけでなく、積極的に地域の野球振興に取り組んできた。背景にあるのは「地元への思い」。活動はセンバツ初出場という形で一つの区切りを迎えた。【深野麟之介】 決して忘れられない1打席がある。沼津東高2年だった1996年、甲子園をかけた夏の県大会2回戦。第1シードの掛川西との一戦に1番・中堅手として先発出場して、八回裏に3点三塁打を放つなどし、強豪校に食らいついた。そして、6―7と1点を追いかける九回裏2死満塁、1打逆転の場面で打順が回ってきた。 「押せ押せムード」の中、初球はファウル。2球目は外角の直球を見逃してストライク。追い込まれての3球目。同じコースのスライダーに手が出なかった。結果は3球三振。「まだ次がある」2年だったが、スタメンに起用された試合で「次がない」3年の先輩たちへの申し訳なさと自身のふがいなさにさいなまれた。空振り三振ならば、もしかしたら、自分を許せたかもしれない。だが、「手を出せなかったことをすごく後悔した」。 この1打席によって、「迷ったらやってみる」という考え方に変わったという。「三島南は『待つ野球』をしない。勝つために自分たちから仕掛ける」と日ごろから選手たちの指導でも、その信念を貫いてきた。 14年末から続けている地域の子どもたちへの野球体験会や教室も「とにかくやってみる精神」で始めたものだ。「高校野球200年構想」が18年に日本高野連などから発表されるまで、高校野球部は小学生や少年野球チームなどと野球を介した交流ができなかった。しかし、地域の野球振興を諦めるのでなく、「未就学児とならばできる」と発想を変え、三島市内の保育園に出向きはじめた。 沼津市出身だが、父親は三島市職員、母親も三島市の保育園で勤務し、三島市に縁がある。13年に三島南に赴任すると、同じ年に三島市内に新居を構えた。生活基盤が三島市内に移ったことで「これから根を張る地域のために何ができるか」と考えたという。出した結論が「自分がずっと関わってきた『野球』を通じて、地域に寄り添い、貢献する」ことだった。 21世紀枠での選出について「これまでの取り組みに対して、非常に大きな評価をしていただいた」と感慨深げに話す。今後は全国にも目を向ける。「三島南という単独の存在でなく、地域や自治体と連携して『野球振興のモデル都市』のような発信をしていきたい」と夢を語る。 ◇ チームは15日に現地入りし、翌日から阪神甲子園球場近くの別の球場で最終調整に臨んだ。伊藤侍玄(じげん)主将(3年)は「メンバーの雰囲気はいつもと変わらず、コンディションもよい」と充実した表情を見せている。 ……………………………………………………………………………………………………… ■人物略歴 ◇稲木恵介(いなぎ・けいすけ)さん 1979年5月、沼津市生まれ。兄の影響で小学3年から野球を始める。沼津東高、日本体育大卒。静岡大大学院に進学し、静岡大野球部コーチも経験。2013年4月に三島南に赴任、7月から野球部監督を務める。