学生時代から商才発揮 誰でも知ってる早耳情報は信じない 堤康次郎(上)
実業家、堤康次郎(つつみ・やすじろう)は西武グループ(旧コクド、セゾングループ)の創始者であり、政治家で、東急の五島慶太とはライバル関係にありました。 初めてコメ相場を体験したのは中学生の頃。早稲田大学入学前にはすでに、株式相場にも挑戦していました。「早耳情報は信用しない」と言い切る堤ですが、何か苦い経験でもあったのでしょうか? 近江商人の血を受け継ぐ若き日の投資家について、市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
超早耳情報で大失敗以降、早耳情報は信じない
堤康次郎は相場で早耳情報に信を置かない。それというのが、大隈重信侯から超早耳情報をもらって大失敗した苦い経験があるからだ。 ある週末、堤は大隈に呼ばれた。 「堤君には随分苦労をかけたから、1つ金儲けを教えよう。安奉鉄道が満鉄の手に入ることになったから満鉄株を買え。これを知っているのはわが輩1人だ」 堤は早速、兜町の株式仲買店に走り、月曜日の寄付で満鉄株を成り行きで買い注文を出した。すると、いきなり50円も上っ放れ、思わぬ高値をつかまされた。しかも、それが天井となって下がる一方となる。 堤「そういういい話は皆が知っているわけだ。だから早耳で金儲けができるものではない。金儲けしようと思うと、かえって損をするものだ。私の場合、金儲けという目的を捨てたら事業がよくなった」
早稲田大学在学中から秀でた才覚
堤は早稲田の学生時代、日本橋蛎殻町の3等郵便局を買い、車で大学に通った。同時に渋谷で鉄工所を経営して数十人使っていたというから並みの才覚ではない。これらの事業資金は株の儲けによるものだった。5000円の全財産を賭けて買った後藤毛織が半年も経たないうちに6万円に化けるについては少々訳がある。 後藤毛織の将来性を買った堤は株主総会に出席すると、後藤恕作社長の追い出しを図る大騒ぎの総会であった。その首謀者が梅浦精一(元石川島造船社長)、石井政五郎(横浜の鉄鋼問屋)といった錚々たる連中であった。堤は双方の意見を聞いたが、乗っ取り派に無理があると判断、「経営は後藤さんに任せるのが全株主の利益になる。乗っ取り派は間違っている」と大演説をぶった。 当時堤は早稲田の柔道部員であり雄弁会にも所属していたのでさすがの梅浦陣営も若さに圧倒されたのか、総退却となる。 これが機縁で後藤社長から株集めを依頼される。当時後藤毛織は20円払い込みで2円という安値に落ち込んでいたが、過半数は集めたいという後藤の意を体して堤は買いまくった。そして後藤は「ご苦労さん」と言って堤に2000円差し出した。この時堤は「私は株屋でも総会屋でもないから受け取れません」と断る。 だが、堤はしたたかである。謝礼こそ辞退したが、後藤毛織株の譲渡を申し出る。 堤「私が全財産の5000円を後藤さんに預けて、それを頭金にして銀行から金を借り、それで買えるだけ後藤さんの持株を譲ってもらった。その時後藤毛織の株は20円くらい。それを平均買い値の11円で分けてもらったので半年も経たないうちに5000円が6万円になった」 もし2000円もらっていたら、それだけのことで終わっていたはず。後藤毛織株を買い付け原価で手に入れたところに近江商人の血が流れる堤の凄い商才がある。