“オリジナル主人公&平成舞台&複雑な構造”で脱落者が続出…それでも「おむすび」が“優れた朝ドラ”である深い理由
それでも三谷幸喜や宮藤官九郎、最近では野木亜紀子といった、過去作の成功で作家性に信頼のある脚本家なら、多少違和感のある展開が続いても、続きを観て考えようと評価を保留にしてもらえる。 根本ノンジも『監察医 朝顔』(フジテレビ系)、『パリピ孔明』(同)、『正直不動産』(NHK)といった作品を手掛ける人気脚本家で、『おむすび』と同じタイミングで放送された『無能の鷹』(テレビ朝日系)も好評だった。 ただ、手がけた作品の多くは原作モノで、漫画や小説の脚色には定評があるが、朝ドラのような長丁場のオリジナル作品は今回が初めて。 そのため、視聴者との信頼関係がまだ固まっていなかった。『おむすび』は根本にとっては勝負作と言える作品で、だからこそ構成やキャラクター描写は複雑で力が入ったものとなっていて、筆者もその複雑さを面白く観ていた。 その複雑さに耐えられない視聴者が早々と離脱してしまったというのが、本作が苦戦している一番の理由ではないかと思う。
わかりやすさよりも、被災体験の実態を描くことを重視
それでは『おむすび』を神戸の幼少期から始め、幼い結が阪神・淡路大震災を経験する場面を導入部で描いていたら、本作の評価は変わっていたのだろうか? おそらくある種の「わかりやすさ」は獲得できただろう。だが、失うものも多かったのではないかと思う。 第8週から米田家は神戸に戻り、結は栄養士になるため、栄養専門学校に通うようになる。そこで栄養士を目指す仲間と出会い、切磋琢磨することで成長していく。同時に描かれるのが、震災から12年が経ち表面上は復興が進んだように見えるが、今も心に傷を抱える神戸の人々の姿だ。 震災渦中の混乱をドラマチックに描いた後、復興する街並みと人々の絆を美しく描けば、物語としては綺麗にまとまる。ただ『おむすび』はそこで終わらず、被災体験がその後、人々にどのような影響を及ぼすのかを、じっくりと追っていく。 こういった描き方は半年という長丁場だからこそできる朝ドラならではの描き方だろう。