「今晩、何食べる?」「何でもいいわよ」 野村克也さんの妻・沙知代さんが編み出した、驚きの「夫掌握術」
「このがらんどうの人生を、俺はいつまで生きるんだろう。俺はおまえのおかげで、悪くない人生だったよ...おまえは幸せだったか....?」 生きている間に伝えたかった「ありがとう」をこの本で。名将・故野村克也さんが綴った、亡き妻・沙知代さんへの「愛惜の手記」。 2人のかけがいのない思い出から「夫婦円満」の秘訣を紐解いていこう。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 *本記事は、野村克也『ありがとうを言えなくて』(講談社)を抜粋、編集したものです。 『ありがとうを言えなくて』連載第4回 『「あんなにぴんぴんしてたのに...」 ノムさんが語る、妻・沙知代さんとの「最後の晩餐」』より続く
思い出すのは「たわいもない」会話
我が家は朝が遅いので、基本的に一日二食だ。朝食兼昼食はお手伝いさんに作ってもらうが、夜は外食が常だった。 私にはホテル以外に、行きつけの店が都内に6、7軒くらいあった。中華、和食、肉、寿司、フレンチ、イタリアンなどだ。 ありとあらゆる人においしい店を聞いては、実際に、食べに行った。そのうち私より詳しい人がいなくなった。いずれも、そうして最後に残った店である。それらの店をローテーションにし、回していた。 妻の生前、私は夕方になると必ず「今晩、何食べる?」と尋ねた。 答えは判で押したように同じ。「何でもいいわよ」 そう言われるとわかっていても、いちおう聞いた。 会話といっても、思い出すのは、そんなものばかりだ。たわいもないというか、やりとりする必要すらない。逆に言えば、それらのチャンスを逃すと、本当に何もしゃべることがなくなってしまう。 ありとあらゆる主導権は沙知代が握っていたが、晩御飯の決定権だけは私にあった。付き合い始めた頃から亡くなるまで、妻の方から、ここへ行きたい、あそこへ行こうなどと言ったことは一度もなかった。
最後の夜に連れていきたかった「ヒレステーキ」
夫婦生活において、妻が夫の胃袋をいかにつかむかが肝要だとよく言われる。沙知代も自分で作りこそしないものの、選択権を与えることで、私の胃袋をつかんでいたのかもしれない。 私は私で、沙知代に意見を求めながらも、沙知代はこんなものが食べたいのではないかと気を回すことはまったくしなかった。脳から指令が来るのを待ち、体が欲するものを選んだ。 沙知代は生魚が苦手だったが、私は寿司も大好きなので、食べたいと思ったら遠慮せずに寿司屋を選択した。私が握りを食べている間、沙知代は特別にうどんを作ってもらい、一人で食べていたものだ。 私は何でも好きだが、沙知代は肉を特に好んだ。代官山に小川軒という有名な西洋レストランがあるのだが、そこのヒレステーキがいちばん好きだったようだ。私もそこのステーキは大好きである。最後の夜になるとわかっていたら、あの店に連れて行ってやりたかったな。 私と沙知代はいつも黙々と食べ物を口に運んだ。 だったら、居ても居なくても変わらないように思えるのだが、沙知代のいない晩飯の席は今も喪失感が漂っている。横を見ると、いなくなったことを実感する。 『「ここには体温がある」野村克也が妻・沙知代を亡くした後になってようやく気づいた自分の「居場所」』へ続く
野村 克也(野球解説者)