「ありがとう」桂米朝さん ── 葬儀に1500人・多くのファン風雨のもと出棺見送り
近藤正臣さん、桂文枝さんらが弔辞。月亭可朝あいさつに桂ざこば号泣 3月25日 THE PAGE大阪
19日に89歳で亡くなった人間国宝の落語家で、落語家として初の文化勲章を受章した桂米朝さんの告別式が25日、大阪府吹田市で営まれた。上方落語協会会長の桂文枝さん(71)をはじめ、落語協会会長の柳亭市馬さんや春風亭小朝さんら1500人が参列。出棺時には会場の外でも数え切れないほどのファンが手を合わせ見守るなど最後の別れを告げた。
近藤正臣さん、上岡龍太郎さんら1500人が参列
喪主を務めた米朝さんの長男で弟子の桂米団治さん(56)のほか、桂ざこばさん(67)や月亭可朝さん(77)ら米朝一門の弟子らが参列。米朝さんと深い親交のあった俳優の近藤正臣さん(73)や2000年に引退した上岡龍太郎さん(73)らの姿もあるなど1500人が参列した。 桂文枝さん(71)は弔辞で「天満天神繁昌亭に掲げられている『楽』の字。最初は『薬』でとお願いしていましたが。『落語家は心からお客に楽しんで頂いてこそ、本物の落語家』と受け取りました」と述べ「『楽』の字のもと、努力してまいります」と続けた。
出棺前に激しい雨も、多くのファンが手を合わせ見送る
月亭可朝さんが弟子を代表してあいさつした際は、横にいた桂ざこばさんが、ハンカチで顔を押さえながら号泣していた。 米団治さんは、米朝さんが弟子や親しい人たちに囲まれ、静かに亡くなっていったことを明かした。横にいた月亭可朝さんを見ながら「物心ついた時には、可朝さんがおられました。その次が枝雀さん。そして、ざこばさん。僕にとっての『父親像』というのは本当になかったです。ずっと仕事してましたから」と述べた。 また、子どものころの思い出にもふれながら「小学校の参観日に1度だけ小学校3年生の理科の時間に来ました。家族旅行は中学の2年の時、南九州のパックツアー。ずっと新聞読んではりました。その時に思いました、この人はみんなの父親だと感じました。本当に父親と感じたのは、病院で寝こんでからです。介護をしているうちにだんだんだんだんモノを言わなくなってきて、その時に、親父ってこういうものなんだと感じました。最後は眠るように全然苦しまずに亡くなりました。きょうは普段米朝が着ていた着物で来ました。これを見立てたのは去年6月に他界した母でした」などと話し、多くの参列者の涙を誘った。