西武・松井稼頭央が引退会見。野手転向、スイッチ、MLB…「永遠の挑戦」
3年目の1996年の開幕戦からショートで起用されレギュラーに定着すると「走攻守」の3拍子揃った史上最強の遊撃手として球界に衝撃を与え続けることになる。 1997年初出場となった球宴で1試合4盗塁の新記録。その年に62盗塁で初タイトルを奪うと3年連続で盗塁王。1998年にはパ・リーグのMVPを獲得した。翌年には178本で最多安打タイトル。2002年には、史上8人目、スイッチとしては初となる打率.332、36本、33盗塁のトリプルスリーをマークした。ゴールデングラブ賞も4度受賞。2004年からは、ついに日本人初の内野手としてメジャーへと戦いの舞台を移す。 「アメリカに行きたいと思った。どれだけ凄い選手がいるのか、どれだけ身体能力の高い選手がいるのか、29歳。このチャンスしかない。野球人生が長くない中、一度、挑戦してみたい。その思いで行った。アメリカの7年間はいい経験であり悔しい思いもした。自分にとってチャレンジの連続、勉強の連続だった」 怪我や故障に苦しみマイナー落ちも経験しながらもメッツ、ロッキーズ、アストロズで7年間プレー。615本のヒットと102個の盗塁を記録してロッキーズ時代はワールドシリーズも経験した。レッドソックスにいた松坂大輔と“世界一”を決める舞台で夢対決もしている。だからなのか。引退会見で、印象に残った対戦投手と聞かれ、かつて一緒のユニホームを着ていた松坂大輔の名前を出した。 「アメリカでも対戦した。今年のオープン戦でも対戦させてもらった。同じチームでやってきたという思いがあるなか、ここで勝負ができるのかと、非常に楽しみにしていた。あいつがいて良かった」 2010年オフに凱旋帰国。水面下では、オリックスらと激しい争奪戦が繰り広げられたが、楽天の故・星野仙一監督の“男気”に落ちた。 「アメリカから帰ってきて星野監督のお世話になった。星野監督と出会わなければ、ここまで長く、この年までできていない」 2013年には、楽天の日本一に貢献。2014年途中から40歳を前に自ら志願して外野手に挑戦している。 2009年のアストロズ時代に日米通算2000本安打をクリアしていたが、2015年7月28日のソフトバンク戦(秋田)で、NPBだけでの通算2000本安打を達成した。 そして昨年オフに西武へ復帰。4月29日の楽天戦で、本拠地メットライフドームで、初めて代打起用され、その名前がコールされたときに湧き起こった声援に感動したという。 「ここに戻ってきて最初の打席で、一度出た人間に、あれだけの声援をいただいた。本当に嬉しかった」 格闘家のような肉体と、運動能力を競うテレビ番組で他競技のトップアスリートを圧倒した身体能力を存分に生かしてメジャーでいう「5ツールプレーヤー」の先駆者として、ひとつの時代を切り拓いてきた。松井は、会見で、プレーヤーの“矜持”を質問されて、こう答えた。 「走攻守。凄いバッターでもない。守備力もたいしたことがない。足だけは少し速いと思っていたが、その3つすべてが重なって松井稼頭央。この年齢でも動けることが第一条件だった。そうでないと自分じゃない」