野球で「厳しい指導」がなくなった功罪を考える【里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール!】第21回
■里崎、五十嵐、それぞれの恩師を語る 五十嵐 確かにその通りだけど、「もっと追い込めばもっともっと磨かれて光るのに」と思いつつ、「壊れたら困るから、このへんでやめておこう」というケースも増えましたよね。佐々木朗希や奥川恭伸を見ていると、ちょっともどかしく思うこともありますからね。そういう意味では、さっき言ったように「もっと軍隊式の指導を」と求める親がいるのもわからなくもないですけど。やっぱり、いい指導者に出会えるかどうかは、親としては大きな関心事だから。 里崎 自分の話になるけど、高校に進学するときに5校の監督と話して、僕が進学した鳴門工業高校の高橋広監督だけが僕の将来のビジョンを語ってくれた。15歳の僕にとって、それはとても新鮮で、そもそも工業高校には進学するつもりはなかったのに、高橋先生についていく形で進学を決めました。学校で選んだんじゃなくて先生で選んだ。その後も、先生が敷いてくれたレールの上を進むように、大学に行き、プロに進みましたからね。 五十嵐 僕も、恩師と呼べるのは敬愛学園高校時代の古橋富洋監督ですね。まだ監督に就任したばかりの若い監督で、熱血的な指導で厳しい監督だったけど、ピッチャーとして入部したわけじゃないのにピッチャーにしてもらって、肩やひじを痛めないように無理な登板もなかった。先生自身がピッチャー出身だということも大きかったし、僕にとってはいい出会いでしたね。 里崎 いい出会いによって、人生が大きく変わることは間違いない。だからといって、ただ同じ時期に同じ組織にいたからと言って、それだけの理由で「先輩だ、後輩だ」というのはまったくナンセンスだと思うけどね。 五十嵐 体育会系というのは1年でも生まれたのが早いのか、遅いのかだけで上下関係がカッチリと決まってしまうものですからね。でも、サトさんの言うように、ただそれだけの理由で敬ったり、敬われたりするのは確かにヘンだと思いますね。 里崎 同じように、ただ年長者だというだけで、その人が言っていることがすべて正しいわけでもないし、それが自分にとって有益なものというわけでもないし、そのあたりはきちんと自分自身で見極めなければいけないと思うよね。 ――「人間関係」について伺ったところ、まずはそれぞれの恩師についての話題となりました。次回は、改めて「そもそも友だちは必要なのか?」といったことをお尋ねしたいと思います。引き続き、よろしくお願いいたします。 里崎・五十嵐 了解です。次回もよろしくお願いします! 構成/長谷川晶一 撮影/熊谷 貫