野球で「厳しい指導」がなくなった功罪を考える【里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール!】第21回
■「石ころがダイヤモンドになる時代」があった 五十嵐 野球教室のお仕事で、全国の野球チームで指導をすることも多いんだけど、僕らの時代とは明らかに雰囲気が違っていますよね。それは父兄の人たちが、指導者に対して「あれがおかしい、これがおかしい」と指摘すること。徐々に今のように変わっていったということだけど、今の子どもたちにとっては快適な環境が整っていると思いますね。 里崎 でも、たまに昔ながらの指導者が率いているチームもあるよね。 五十嵐 あるある。そういうチームの親御さんに話を聞くと、「むしろ、昭和の頃のように軍隊式の指導で厳しく子どもに接してほしい」という希望もあるみたいです。さすがに体罰とか、手を挙げるようなことはしてはいけないけど、ある程度の厳しさを求める親もいるのも事実ですね。 里崎 時代は移り変わって、今のようなスタイルが定着したのかもしれないけど、絶対にその反動で「昔はよかった」「昔のような厳しい指導もある程度は必要だ」という揺り戻しは必ずやってくると思うよ。かつての「ゆとり教育」と一緒で、「やっぱりダメだ」ってなったように。基本的に、日本人の気質として「緩い」のは向いていないと思いますけどね。口では「自己責任だ」と言いつつ、実際のところは自己責任を求めていないというか。 五十嵐 どういうこと? 里崎 心のどこかでは「誰かに助けてもらえる」という思いがあるじゃないですか。たとえば、国民年金保険があって、社会保険があって、年金もあって、生活保護まである。こんなに国の税金で守られている国は、日本の他にはないんじゃないのかな? 欧米式の自由を求める一方で、社会主義国並みの保証を求めているから。 五十嵐 なるほど。確かにそうですよね。でも、実際のところ「特にいいも、悪いもないんだ」ということはあるにせよ、サトさんだったら、昔のような軍隊式上下関係と、今のようなフレンドリーな関係とどちらがいいですか? 里崎 僕は単なる"石ころ"だったから、昔のほうが圧倒的によかったな。昔の指導方法だと、ダイヤの原石が磨かれる前に壊されてしまったケースもあったと思う。その一方で、軍隊式で徹底的に鍛えられたおかげで、壊されることなく石ころからダイヤになるケースもあった。逆に今の社会は、ダイヤの原石が壊されることが少なくなった代わりに、石ころがダイヤモンドに変わる可能性も減ってしまったんじゃないかな。