ウエストランド井口浩之「人生でいちばんつらかった」番組のファンだった『オンバト』視聴者から届いた辛辣なコメント
2022年の『M-1グランプリ』優勝以来、さまざまなバラエティで活躍するウエストランド・井口浩之。ツッコミはもとより、愚痴と文句を言わせたら右に出るものがいない口達者ぶりで、仕事は引きも切らない。その文句言いぶりゆえに見落とされがちだが、実はウエストランドはデビュー間もない頃からテレビで着実に結果を残してきた駿才でもある。これまでの芸人人生で井口が感じた、「THE CHANGE」とは――。【第3回/全5回】 ■【画像】ウエストランド井口が楽屋で出会ったマセキ芸能社所属のお笑い芸人 2011年4月23日、念願だった『オンバト+』(NHK)で初挑戦・初オンエアを勝ち取り、初めてウエストランドのネタが地上波で流れた。そのすぐ後から、当時井口が書いていたブログのコメント欄がにわかに騒がしくなる。 「もう、大悪口だらけ。“つまらない”“ツッコミが下手くそ” “あれでオンエアって、ふざけんな”って、めちゃくちゃ言われまくってました。誹謗中傷の嵐ですよ。僕らコンビに対してっていうより、僕個人がめっちゃ言われてて。“ボケのやつはいいけど、ツッコミの小さいやつがダメだ”とかね。なんの見る目もない……今そいつら、どう思ってんだ(笑)」 今となっては悪態もつけるが、このときはショックが大きかった。そもそも井口自身が放送開始当初から『爆笑オンエアバトル』を観続けてきた番組ファンだったからだ。 「僕もそっちの仲間のつもりでいたのに、出る側に回ったら叩かれた。これは芸人になってからというか、人生でいちばんつらかったですね。そもそも、知らない人から叩かれたのも生まれて初めてだったんで。ある意味、そこで耐性はついたのかもしれないですけど」
「とにかく、やるしかなかった」
それにしても、たった一度、5分程度のネタを披露しただけでそれほど叩かれるものだろうか。そうたずねると「普通、そんなことないじゃないですか。『オンバト』って熱狂的な人しか観てないから怖いんですよ」と憤慨する。と同時に、自分たちの当時についてこう振り返った。 「僕らとしては、今と違ってわりと普通の漫才コントをやっていたつもりでしたけど、やっぱりどこか普通ではなかったんでしょうね。その異質さが、会場では受け入れられても画面越しだとなんとなく嫌だったのかなと思います。『オンバト』でウケる型みたいなものが多分あるんですよ。それこそタイムマシーン3号みたいに、うまくてテンポがいい漫才が好かれるわけじゃないですか。そう考えると、僕らの漫才はどこか歪だったのかもしれないです」 ただし「まぁでもやっぱり、全然見る目がないですよ」と付け加えるのを忘れないあたりが実に井口だ。 そして当初思っていた通り、初挑戦でオンエアを獲得したことで、その後コンスタントに『オンバト+』に呼ばれるようになる。いきなり3連勝をあげるも、それによって仕事が増えることはなかった。 「昔は『オンバト』に出てりゃ営業に呼ばれてメシが食えるっていわれてましたけど、僕らの頃はもうなんの影響力もなかったですから。僕はずっと『オンバト』好きでしたけど、夢はなかった(笑)。バイトしてライブ出て『オンバト+』に向けてネタつくって、いいネタを『オンバト+』でやる、ってサイクルでした」 「とにかく、やるしかなかった」と繰り返す。そして2012年、またひとつのチャンスが訪れた。 「民放の番組のオーディションに行っても“特徴がない”って言われて、ずっと落とされてたんです。“何か特徴にできないか”って自分たちのネタを見返したら、ちょっと僕が長めにツッコむところがあったんですよね。2012年の『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)の正月特番のオーディションで、そこだけを抽出して僕が長くツッコむ漫才をアドリブでやったんですよ。そしたら“これで『Mー1』どこまで行ってるの?”って聞かれて、“いや、今初めてやりました”って(笑)。それで番組に出られて、“ウエストランドがすごいスタイルを見つけたぞ”ってお笑い界がちょっとざわつきました」 『M-1』優勝ネタにもつながるフォーマットが生まれた瞬間だった。ただし、その後、このネタで『オンバト+』に挑んだところ、初のオフエアとなってしまう(2012年3月17日放送回)。活路になるかと思われた新たなスタイルは、ここからしばらく封印することとなった。 文=斎藤岬 井口浩之(いぐち・ひろゆき) 1983年5月6日生まれ、岡山県津山市出身。中学・高校の同級生だった河本太と2008年にウエストランドを結成。『M‐1グラプリ 2022』優勝。現在のレギュラー番組に『耳の穴かっぽじって聞け!』(テレビ朝日)。WEBメディア「お笑いナタリー」にて「今月のお笑い」連載中。 斎藤岬
斎藤岬