『フェイクドキュメンタリーQ』は時代を象徴する “ブーム”を牽引する独特な不気味さに迫る
「フェイクドキュメンタリー」に類するホラー、ミステリーが、最近になって日本でブームを見せている。映画『変な家』のヒットを生んだWEB記事、YouTube動画『【不動産ミステリー】変な家』や、ネット怪談を題材とした小説『近畿地方のある場所について』をはじめとして、「実録」を装った、ゾクゾクさせるようなフィクション作品に注目が集まっているのだ。 【写真】7月に刊行された『フェイクドキュメンタリーQ』初の書籍 このブームのなかで、いま再注目されているのが、YouTubeにおける「フェイクドキュメンタリー」のパイオニア的な存在といえる、謎めいた動画シリーズ『フェイクドキュメンタリーQ』だ。今年7月に初の書籍が刊行され、ここにきて新たな動画作品が連続でアップされたことで、このシリーズは、いま大きな盛り上がりを見せている。 ここでは、新エピソードや、書籍と連動することで新たな動きを見せることになった、本シリーズ『フェイクドキュメンタリーQ』の内容に踏み込み、その独特な「不気味さ」の核心に迫りながら、インターネットの特性と「フェイクドキュメンタリー」の特徴が生み出した、同様のジャンルにおける昨今のブームについても考察していきたい。 本動画シリーズは基本的に1話完結形式。それぞれのエピソードが、およそ10分、もしくは20分ほどの内容で発表されている。「見たら死ぬ」というビデオの謎を追う「Cursed Video」、不気味な留守番電話の録音を紹介する「Strange Message」、民家での悪霊憑きを霊媒師が払おうとする「Exorcism」など、その内容は、心霊や呪い、未解決事件という不気味な題材を、地上波で放送されなかった、もしくは身元不明の映像素材という、「ファウンド・フッテージ」に近い形式で紹介するといったものだ。 そのクオリティーは次第に上がっていき、とくに、洞窟で遭難するカップルの異様な体験を描く「Film Inferno」、際限なく降下し続けるエレベーターの内部が映し出される「BASEMENT」、ロシアのビデオで超能力の開花に挑むうちに、おそろしい事態に発展する「MINDSEEKER」あたりになってくると、コアなホラー、ミステリーファンも瞠目するような、質の高い映像表現、切れ味鋭い演出が確認できる。最近、YouTube上では、映像クリエイターによるホラー短編作品のアップが増えてきた印象があるが、やはり完成度において、本シリーズは図抜けたものがあるといえるだろう。 無料ですぐに見られるという手軽さもあり、広くファンを増やしていくなか、新着では、古い日本映画の奇妙な映像素材が映し出される「Take100」、姿を消した母親の手がかりと見られる郵便物を集める人物の姿を追った「Mother」がアップされ、さらなる話題となっているのが、本シリーズの現在の状況である。 注目したいのは、基本的に“謎を謎のまま終わらせる”という、「不完全燃焼」なスタイルだ。ミステリー作品やホラー作品の多くは、不可解な事件や不気味な出来事が、なぜ起こったのか、その真相が明らかになるところに、面白さやカタルシスが用意されている。とくに商品として提出されている作品は、投げっぱなしの内容では不満を呼ぶことにもなりかねない。 しかし現実において、解決した事件よりも未解決事件の方が、より人間の不安を呼び起こすように、謎が残る内容の方が、鑑賞者に大きなインパクトを残すことになる場合がある。本シリーズは、無料動画というかたちだからこそ、このように商品としては荒い状態で提出することにためらいがない。そして、だからこそインターネットの匿名による真贋不明の書き込みのような不気味さを維持できているといえよう。 とはいえ、本シリーズはプロによる作品だ。ビデオ作品の演出や映画の監督を務めてきた寺内康太郎、そしてYouTubeのホラーチャンネル「ゾゾゾ」のディレクターを務める皆口大地を中心に制作されている。この二人は『フェイクドキュメンタリーQ』を経て、テレビ東京の大森時生プロデューサーらとともに、テレビ東京系列のフェイクドキュメンタリー番組『イシナガキクエを探しています』、『祓除』(ふつじょ)などにかかわっている。このような取り組みもまた、本シリーズの注目、フェイクドキュメンタリーブームの醸成に寄与しているといえるだろう。また寺内康太郎は、「行方不明」を題材としたフィクションの展覧会『行方不明展』の映像制作にも参加している。現在のブームは、われわれが想像するよりも、じつは同じ界隈から発信されているのだ。 そういった作品群のなかで、『フェイクドキュメンタリーQ』が際立っているのは、シリーズ作品としての魅力だろう。独立しているはずの各エピソードには、それぞれ繋がりを感じさせる要素が、いくつか発見できるのだ。『近畿地方のある場所について』にも、さまざまな怪談が一つに合流していく構成になっていたように、本シリーズもまた、「ハチ ロク ナナ サン」などの謎の数の羅列や、何者かと「目を合わせる」ことへの危険を感じさせる情報など、それぞれの事件、出来事が、何か一つの大きなものを暗示しているように感じさせるところがある。 こういった要素が、コメント欄での視聴者たちの考察を促し、さらなる盛り上がりを生んでいる。このようなインタラクティブな仕組みを含めて、有機的に動き続ける「作品」となっているのが、本シリーズの面白いところでもあるのだ。