「なんでMCなんてやってるんだろう」芸能活動42年の中山秀征(56歳)が“悩んだ過去”を告白
上岡龍太郎さんからかけられた「言葉」
――どういうことですか? 中山:エラい誰かにくっついて言うこと聞くとか、媚びへつらってみたいなことが、人見知りだから絶対にできないの。ただ、たしかに仲良くしてもらった先輩はいっぱいいて。そういうすごい方たちからもらった大切な言葉を、次に伝えていく役割なのかなと思うことがあるんです。 島田紳助さんは、MCとしてものすごく勉強してた。「俺はさんまには話芸では絶対勝てない、だから勉強する」って言って、視聴率を細かくノートに書いて研究して…。上岡龍太郎さんから言われた言葉では、「苦しい時は登っている時。でも楽だなって思った時は下ってる時だから、気をつけろよ」と。 俺は人から学んだもので生きているんだよね。だから、とがったスタイルはないと思う。ただ、僕が人からもらった言葉を伝えたい。こんな人がこんなこと言ってたんだぞと。
「俺が親だったら止めますよ」
――ところで、今年の春からFMぐんま『中山秀征の夕焼けウォンチュ!』がスタートしていますね。群馬での収録の時は、スタジオの前に人だかりができているとか。群馬県人のヒデちゃん愛がすごいですね。 中山:群馬でレギュラー番組をもつのは初めてなんですよね。群馬から出てきたから今があるので、地元にできる貢献はどんどんやっていきたいと思っています。今年はふるさとの藤岡市で初めての書道展もやらせてもらって。 ――改めて、よく中学生で群馬から出てきましたよね。 中山:いや、本当にそれ。誰か止めろっていう(笑)。俺が親だったら止めますよ。でも、「可愛い子には旅をさせろ」をしてくれた親に感謝だね。
両親からの「血」は僕にもある
――お母さまはどういう人だったんですか。 中山:母は明るくて、働き者でした。家が工場で、洋服と永谷園のお茶漬けを両方やっていたから、ずっと働き続けている姿を見て育ちました。細かいことを言わず、ここ一番の時は周りに構うことはねえからやってこい、引き下がるなっていう人。 父親もそういうところがあって、小学生の時に野球をやりたいと言ったら、学校にかけあって野球部を作ってくれた。両親ともやりたいことがあるなら、前例があるかないかは関係なかった。その血は、僕にもあるかもしれないね。 たとえば今のテレビの世界では「前例がない」ってすぐにいう。揉めるとか揉めないじゃなくて、やりたいことがあるかどうかだよね。 ――上京したての頃の中山少年に、何か言葉をかけるとしたら何と言いますか? 中山:「今うまくいかなくても、必ずうまくいくから続けろ」って言いますね。 <取材・文/吉河未布 撮影/山川修一> 【中山 秀征(なかやま ひでゆき)】 テレビタレント。1967年群馬県生まれ。フジテレビ「ライオンのいただきます」で「ABブラザーズ」としてデビュー。コンビ解消後1992年より『DAISUKI!』(日本テレビ系)の2代目MCとなる。以後『ウチくる!?』(フジテレビ系)や『おもいっきりDON!』『シューイチ』(共に日本テレビ系)など、多くの番組のMCを務めるほか、俳優、ラジオパーソナリティなど多方面で活躍中。私生活では元宝塚の白城あやかとの間に4人の子どもを持つパパとしても知られる 【吉河未布】 大阪府出身。大学卒業後、会社員を経てライターに。エンタメ系での著名人インタビューをメインに、企業/人物の取材記事も執筆。トレンドや話題の“裏側”が気になる。『withnews』で“ネットのよこみち”執筆中。Twitter:@Yoshikawa_Miho_
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