【パキスタン代表監督奮闘記4】イスラム教の国で野球を教えるということ
しかし、そんな私の不安などよそに、初回、いきなり連続強襲ヒットで先制する。まだまだ試合の運び方や状況による力の使い分けなど、経験の部分が乏しいパキスタン野球だったが、試合はそのまま逆転を許すことなく勝利した。この日、実は私が重大なミスを犯していた。1人の投手の名前がメンバー表から漏れていたのである。投手交代のタイミングで選手をマウンドにあげた時点で指摘を受け、呆然としてしまった。試合前の指導者ミーティングでトリプルチェックを入れたのに、誰も気づくことができなかった。
パキスタンの「縦社会」を痛感
その日の夜、パキスタン野球を象徴するできごとがあった。試合後、私たちは開会式に参加するため、そのまま別の球場に移動した。開会式の後は「韓国対台湾」が組まれており、地元のファンが多く押し寄せ、球場は台湾野球独特の雰囲気になっていた。ほとんどの若手パキスタン選手は、初めて見るプロ野球のような雰囲気に興奮していた。そして、私のもとに歩み寄り「この試合を最後まで見たい。勉強になるよ」と弾ける笑顔でお願いをしてくる。私は前日からの寝不足で頭痛を感じていたため帰りたかったが、わくわくしている選手の顔を見て「帰るぞ」とは言えなかった。その代わりに、明日も試合なので1時間または3回までと約束をした。
しかし、試合が始まってすぐコーチが私に歩み寄ってきた。彼は「疲れた。試合見ても、意味ないから帰ろう」と言うのだ。私は「選手が試合を見たいと言っている。明日も試合があるから1時間または3回で帰るよ」と伝えた。しかし、コーチは「選手も皆帰りたがっている」と言ってきたのだ。まさかと思い、選手に尋ねると全員が「帰りたい」と言う。我が目を疑った。年齢と役職がものを言う縦社会のパキスタンでは、コーチが「帰りたい」と言えば、試合を見たがっていた選手もその意見に賛同する以外ないのだ。 私は、こんなに寂しい世界があるのかとショックを隠しきれなかった。この1カ月、辛いこと、苦しいことはあったが、一番ショックだったかもしれない。結局、予定を前倒しして帰ることになった。さらに、その日の夕食にもコーチは来なく、近所のレストランへ出掛け、夜の街へ消えていくのであった。