DOBERMAN INFINITYのこれまでの10年、これからの10年「遊び心だけは忘れずにいたい」
「最後の夏だから楽しもう!」という思いの伝え方に悩んだ
――つづいて、『ラストフォーエバー』は「これが最後の夏」で始まる少し切なさを感じる楽曲になっていますね。 P-CHO もともと、オケが当初使うはずだったトラックのイントロ部分なんですけども、その部分をKAZUKIが気に入って、イントロの部分を「これループしませんか?」という話から始まったんです。スタジオでそのイントロ部分をループして、「これを土台に作ろう」と。 そこでKAZUKIがそのループしたものに、わーっと歌って。宇宙語って僕ら呼んでるんですけど、レコーディングしながら、その中で「これが最後の夏」って出たんです。それがいい言葉だね、という流れからこの楽曲が生まれました。 ――ワードはパッと思いついたんですか? KAZUKI いつもやっているんですけど、宇宙語の中で「最後の夏」ってなんか聞こえるし、このトラックに合うんじゃない? という感じで、そこからインスピレーションを受けて。 ――テーマもそこから決まった感じですね。 KAZUKI ですね。何となく出したものが決まりました(笑)。 ――そのあとはどうやって作っていかれたんですか? SWAY これは最初から最後まで全員で書きましたね。一緒にスタジオで。 P-CHO 作詞日みたいなのを設けて、プリプロ前にみんなでライティングして。 ――そういうときのすり合わせって5人でどういうふうに組み立てていくんですか? KUBO-C やっぱりホワイトボード。 SWAY ホワイトボード重要ですね(笑)。 P-CHO この曲に関してはものさしを作ったよね。 KUBO-C そうそう。 --ものさし? P-CHO 限定するものはできるだけ避けるようにしました。いろんな意味で、リスナーの人にあてはまればいいな、という思いもあったというか。 例えば、男女間の歌詞に捉えられすぎてもダメだし、とか、仲間だけにとらわれすぎてもダメだし、その言葉の精査をみんなでしながら書いた気がします。 ライティングしていく中で、ちょっと恋人すぎるとか、仲間すぎるとか偏るときはあるんですよね。そういったところをできるだけ減らしながら、そればっかりにしないでおこう、ということをものさしにしてライティングしてました。 ――確かに、聴く人すべてが恋人の曲を聴きたいかというとそういうわけじゃないですもんね。 SWAY いつ誰が聴いても、自分にハマれたら、自分に当てはめられたいな、という思いで、特定せずに書いたというのはこだわりですね。 ――制作にはどれぐらいの時間を? GS スタートから考えたら1週間ぐらい。やっぱり精査していく作業があるんですよね。 P-CHO 一回戻ることもあったしね。 GS 途中までできてもう1回頭からやり直す、ということは結構あるんですけど、この楽曲はその部類で。何度か軌道修正をしたので、わりと時間がかかった印象ですね。 --それだけこだわられた、ということなんですね。 GS やっぱり自分たちがグッとくるというか。自分たちがしっかり受け入れられるもの、ということが5人で作詞するときの絶対条件なんです。その言葉は分かるわ、いいわって5人がならないと次に進まないので、そういった意味ではやっぱり歌詞のこだわりは強い曲だというところはあるかもしれません。 P-CHO SWAYが着地にいいテーマを出してくれたよね。片付けられていく皿を見るときって寂しさって感じません? ――確かに、食べ終わったあとの寂しさというか。 P-CHO ライティングをするときに自分たちの体験談も大事にするんです。 1日の始まりに、今日が最後だし、楽しもうというよりは、1日の最後に「最後」を感じません?みたいな。 それで「次々に下げられる皿に思い出を残し」というところが着地として決まってたんですよ。 SWAY 食べているときって寂しさは絶対ないじゃないですか。楽しくて。全部平らげたときに、「あれ、もう今日が本当に終わっちゃうかも」って。そこが一番悲しいな。旅行もそうですけど。 P-CHO 旅行も明日帰るんだ、ってね。 GS この瞬間が常に最後の瞬間、最後の時間になるかもしれないという事を理解した上で、この夏を楽しもう、この瞬間を楽しもう、ということを届けたい、というところがこの曲の一番奥にあった部分なんですよね。 この曲を聴いて「今年の夏はもう絶対に後悔しないように遊ぶぞ」という気持ちで夏を迎えてもらえたらな、という気持ちもありました。 ――そう聞くと、少しハッピーになりますね。 GS そうそう。もともとこの曲って最後の夏と寂しさを歌おうということじゃなくて「最後の夏やから楽しもう!」ということを歌おう、ということがテーマとしてあったんですよ。だけど、その「楽しもう」を伝えるのが難しくて。逆に寂しさを表現することによって楽しむことの大事さを伝えたかった、というところがこの曲の深い部分ですね。