この春、九州・熊本城で新選組副長・土方歳三が愛用した名刀「和泉守兼定」に会える!
土方歳三と和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)
土方歳三資料館(東京都日野市)に伝わる和泉守兼定は、新選組ファンを中心に近年注目を集める一振(ひとふり)。理由はこの刀が実際の戦いで使われた「実戦刀」と目されるからだ。 同館館長の土方 愛(めぐみ)さんは「まず、柄(つか)の部分に注目してほしい」と話す。滑らないように巻かれた柄糸が激しく摩耗しているこの刀は、箱館(函館)で戦死した歳三の遺品だという。 土方歳三は1835年生まれ。29歳で上洛し、新選組副長として京の街を駆けた。刀の持ち手部分の茎(なかご)に刻まれた銘には、「慶応三年二月日和泉守兼定」とあり、戊辰戦争前に歳三が手にしたと推察される。和泉守兼定とは、会津松平家のお抱え刀工で、この刀を鍛えた(作った)人物を指す。この年の6月には新選組の幕臣取り立てがあり、歳三は見廻組肝煎格(みまわりぐみきもいりかく・旗本と同等)に。この刀は、京都守護職を務め、新選組を強力な武力組織として活用した会津藩主・松平容保(かたもり)から下賜された一振だと伝わる。 【写真】これが土方歳三の愛刀「和泉守兼定」
歳三にとってこの刀の使い勝手はどうだったか。身長が約167.5センチで、当時の男性としては長身だったと伝わる歳三。愛さんは「京都の町屋での実戦は、長すぎず短すぎず、この長さがしっくりきたのでは」と推察する。この刀は、愛さんの祖父の時代に「刃こぼれから錆が出ないように」と一度、研ぎを入れている。この刀が実戦に使われたのかどうかについては文書記録にはないが、代わりに刀を研いだ研師の言葉が残っている。「研ぐ前には、刀の鋒(きっさき)の物打部分に数か所刃こぼれがあった。この刀は、相当厳しい戦いをくぐり抜けてきたものだと思う」 歳三は、鳥羽伏見の戦いの後、江戸へ東帰。近藤 勇との別離を経て、この刀に導かれるように会津へ。そして明治の初めの1869年5月11日、箱館・一本木関門で戦死する。当時死を覚悟した武人は事前に辞世の句を詠み、ゆかりの人へ刀などを「形見」として送ることがたしなみだった。一方、この刀は戦死後に「遺品」として届けられたもの。歳三が死に際してこの刀を振るっていたかどうかは定かではないが、最後の時を歳三と過ごし、彼の魂を宿した刀であろう。 「この刀は歳三さんから預かっているもの。大切に保存・公開をして、皆さんとともに歳三さんを偲び、歴史を後世に伝えられたら」と愛さん。「誠」の心を託された、子孫としての実感を明かしてくれた。 和泉守兼定はこの冬、初めて九州・熊本へ旅をする。展覧会で目にする新選組に関する記事を有する細川家文書とともに、歳三の人となりを改めて考えてみたい。 文/清州 大 熊本県立美術館 細川コレクション特別展 土方歳三資料館×肥後熊本藩 会期:3月24日まで 熊本城の二の丸内にあり、熊本城散策とあわせて訪れたい。九州での大規模な新選組展は初開催。休館中の土方歳三資料館の収蔵品を中心に、肥後熊本藩が残した幕末期の古文書で、新たに発見された新選組にまつわる記録部分も展示。文中紹介の「新選組幕臣取り立て」の詳細な記述もある。「和泉守兼定」は通期展示。 開館:9時30分~16時45分/月曜(祝日の場合は翌平日)休 料金:700円 交通:九州新幹線熊本駅からバス28分、二の丸駐車場下車徒歩3分 住所:熊本県熊本市中央区二の丸2 電話:096・352・2111 土方歳三資料館 土方歳三の生家跡にある資料館で、歳三の遺品や資料を展示。現在は資料整理のために休館中。4月末頃再開予定。開館予定日や「和泉守兼定」の公開情報は、同館のHPを参照。 交通:多摩都市モノレール万願寺駅から徒歩3分 住所:東京都日野市石田2-1-3 ※「旅行読売」2024年3月号の特集「強く美しい 日本刀に導かれ」より