最悪1年間出場停止処分も。比嘉の計量失格はなぜ起きた?責任は誰にある?
ネリの体重超過とは事情が異なる。確信犯的に無理な減量をするよりも、王座を失っても試合に負けることを回避したネリとは違い、比嘉陣営に悪意はない。具志堅会長の言葉通り、ギリギリまで必死に落とす努力を続けたが落ちなかったのである。だが、過去に90人以上誕生している日本人世界王者が、厳守し続けていた伝統に泥を塗り、しかも、日本人世界王者第1号の故・白井義男氏の名前をジム名に戴くジムから日本のボクシング史に汚点を残す計量失格ボクサーが出たことの罪は小さくない。 第一に責められるのは比嘉自身の自己管理不足だろう。 15試合連続防衛の日本記録を持つ元WBC世界スーパーライト級王者、浜田剛史・帝拳代表は、時折、言葉に詰まりながら厳しい意見を口にした。 「まさか。続くとは…参りましたね。試合が決まった以上、体重は落として当たり前。ボクサーは、毎日、3、4回は、体重計にのります。落としてくるであろうと予想しましたがね。沖縄ファイターが出てきて、盛り上がってきたところだったのに、その期待を大きく裏切っています」 浜田代表は、比嘉と同じく沖縄出身のボクサーであり、ネリの体重超過問題の当事者でもあったから、なおさら複雑だったのだろう。 こうなる危険な兆候はあった。 12キロ以上の減量があり、昨年5月のタイトル獲得時も体重が落ちずに直前にパニック症候群に陥り、救急車を呼ぶ事態に発展していた。2月のV2戦も計量2日前に脱水状態で「足がしびれる」という異常に見舞われた。野木トレーナーが、毎晩、精神不安定となる比嘉が眠りにつくまで一緒に部屋にいて、その精神面をフォロー。比嘉は自分自身に「この試合でフライ級は最後」と言い聞かせることでギリギリで計量をクリアしてリングに上がっていた。22歳。その肉体は成長を続けており、今回の予備検診では胸囲が97センチもあった。 もうフライ級は限界だったのだ。 だが、具志堅会長は階級を上げることに聞く耳を持たなかった。 筆者は、前回の試合後、この階級問題を具志堅会長にぶつけたが、「今日の動きを見れば、本人が食事の自己管理をすればやれる」とフライ級続行を指令していた。 米国での軽量級のビッグイベントである「スーパーフライ2」を視察に行くなど、転級は視野に入れていたが、連続KO記録の更新も目前にあり決断を見誤った。 JBCの安河内事務局長は続出する体重超過問題の根源に「今だにひとつでも下の階級でやれればパンチ力が生きるという減量神話が根強くある」と見ている。5月にバンタム級に上げて3階級制覇に挑戦する井上尚弥(大橋)が適性階級に上げていく度に本来の実力を発揮できるようになるなど“減量神話”から脱却すべき流れが日本のボクシング界にも出てきた中で、無理して厳しい階級に留まらせた具志堅会長の責任も重い。