アルゼンチン軍政下で消えた17人の日系人 左翼狩り名目に弾圧、苛酷な拷問も…40年後も続く苦悩
アラカキさんは後に同じ施設にいたという女性から話を聞いた。ヒガさんは強姦などの激しい拷問を受けて衰弱していたという。女性はヒガさんのうめき苦しむ声が「今も頭にこびりついている」と話した。 アラカキさんより3歳上だったヒガさんはいつも知的刺激を与えてくれる存在だった。だが沖縄県生まれのヒガさんの父は、娘の政治活動をよく思っていなかった。約10年前に亡くなる直前、やっと「娘は間違っていなかった」と考えを変え、アラカキさんに「娘を捜すのをやめないでくれ」と言い残した。 ▽37年後に見つかった遺骨 17人のうち、後に遺骨が発見された失踪者が2人いる。そのうちの一人、フリオ・グシケンさん=当時(21)=は1978年に消息を絶った。弟の運動療法士ウゴさん(64)が、フリオさんの遺体が見つかったとの連絡を受けたのは2015年のことだった。 軍政期の失踪者の捜索を支援するNPOが、過去に秘密拘禁施設があった場所の集団墓地から人骨の一部を発見、家族が登録していたフリオさんのDNAと一致したのだ。見つかったのは胸と膝の小さな骨片だった。「本当に奇跡だった」とウゴさんは振り返った。当時父は既に亡くなっていたが、存命だった母は「安堵したと思う」。
軍政時の弾圧で拘束中に出産し、後に殺害された女性の子ども500人以上が軍関係者の養子になるなどしたが、DNA鑑定による実の親族探しが続いている。 ▽死の飛行 軍による拉致から生還した日系人もいた。沖縄県にルーツを持つルベン・マキヤさん(67)は1977年3月、建築学を学んでいたブエノスアイレスの大学から出たところで軍に脚を銃撃され拉致された。マキヤさんは雑誌に寄稿した際の署名が過激派組織の略称と一致していたためメンバーだと疑われたと考えているが、本当の理由は分からない。 首都郊外の秘密収容所を経て、空軍第7旅団基地の格納庫に大勢の学生らと共に拘束された。足を縛り逆さづりにされ、氷水の入ったドラム缶に沈められたほか、殴打や通電など苛酷な拷問を繰り返し受けた。夜になると軍人らは女性拘束者を人前で強姦した。 拘束者の多くが、重りを付けて飛行機から海に落とされる「死の飛行」の犠牲になった。マキヤさんもその一人になるところだったが、基地の隣でクリーニング店を営んでいた父が懇意の軍幹部に頼み、10月に救い出した。代償として店と土地を接収されて失った。