恋愛作品でしか味わえない横浜流星の色気とは? ドラマ『わかっていても the shapes of love』考察レビュー
観る者の記憶に焼き付く横浜流星の“背中”
上で詳しくみた『着飾る恋には理由があって』の冒頭場面では、横浜の後ろ姿が印象的であった。『わかっていても』の冒頭でも銅像にペンキを浴びせる直前の漣の後ろ姿が印象的に映されていた。あるいは『正体』の冒頭でも、逃亡中の主人公・鏑木慶一(横浜流星)の後ろ姿が、4カットに渡って映し出され、小気味良くモンタージュされていた。横浜流星は、どうしてこんなに後ろ姿ばかりが写される俳優なのだろう? 漣の首の後ろには、『わかっていても』全体のモチーフである蝶のタトゥが彫られており、彼の初登場シーンでは、まずそれを見せる必要がある。美大に新任した講師である漣と助手の美羽が夜のバーで再会する場面では、入店する漣のタトゥに導かれるようにカメラが彼の後ろ姿を追う。 漣は、美羽と同じドリンクを注文して、似顔絵を書いてくれないかと提案する。ほんの退屈しのぎなのかよくわからないが、彼の蠱惑的なペースにのまれつつある彼女は従順である。 逆に美羽の右腕に蝶のイラストが描かれたあと、このバーカウンターでのやり取りが際立つ瞬間がくる。不意に煙草を吸う漣と食い入るように煙を見つめる美羽の瞳がかち合う。視線を交換するふたりをカメラが交互に捉える。中川龍太郎監督のカッティングはかなり早い。見逃してしまいそうになるかならないか、ぎりぎりのところで横浜流星の横顔をさっと掴み取る。 「いる?」と聞く瞬間の横浜の表情は、信じられないくらい色っぽく、何か見てはいけないものを見てしまった気持ちにさせる。何か隠さなければいけないもの、触れてはいけないものとしての存在の色気が画面を一瞬支配している。 実際、第2話ラスト、美羽は見上げる漣の頬に触れることで一線を越えようとする。
恋愛作品で全面的に解放される存在の色気
後ろ姿を執拗に写したあとに俳優の顔を際立たせる意味では、『正体』の藤井道人監督も居酒屋の場面で、横浜と吉岡里帆の単純な切り返し演出を施していた。 律儀過ぎるくらいまっとうな切り返しを多用する藤井監督に対して、正攻法的なカッティングをあえて回避している中川監督の方が異様な色っぽさを抽出しているのは不思議である。第3話の水族館場面で水槽を前にした漣と美羽の目元を映したショットが切り返され、バーの場面より濃密な視線の交換が描かれる。しかしこの場面では、彼の存在の色気が十分にすくい取られているとは言い難かった。むしろ、彼の色気は、観る者の視線をかいくぐるような、捉えがたい瞬間にこそ宿る。後ろ姿の背後に隠された、ほんの刹那の秘密がある。 藤井監督の『新聞記者』(Netflix、2022)でも初登場する横浜に対して、カメラが後ろ姿を捉える。早朝の住宅街を俯瞰する大ロングの画面上、一本道を走るバイクを運転する木下亮(横浜流星)が新聞を配達している。停車した亮が眠気とともにふっと息をもらす。寒そうである。なのに白い息ではない。 『わかっていても』第1話ラスト、美羽が自分をモチーフにした石膏作品を前にしている姿を実は後ろで漣が見ていた様子が明かされる。彼の背景、窓の外では雪が降っている。あれ、おかしいぞ。漣が赤ペンキをぶちまけたのはそのあとのことである。雪はやんでいたのかもしれないけれど、「ごめん」と声をかけた漣は、どうして白い息を吐いていなかったのか。ぼくは白い息を吐く横浜流星が見てみたい。なのになぜかほとんどの監督が描こうとしない。 『正体』の鏑木が最終逃亡先で、雪原にたたずんで若干白い息を吐いていた。でもそれは完全な恋愛映画での吐息ではない。横浜流星が吐く白い息ほど美しいものはたぶんない。そしてそれは恋愛映画の中でこそ増幅される。横浜流星には、恋愛作品で全面的に開放される存在の色気がある。という意味での取説が必要だとぼくは勝手に思っている。 【著者プロフィール:加賀谷健】 コラムニスト・音楽企画プロデューサー・クラシック音楽監修クラシック音楽を専門とする音楽プロダクションで、企画・プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメン研究」をテーマに、“イケメン・サーチャー”として、コラムを執筆。 女子SPA!「私的イケメン俳優を求めて」連載、リアルサウンド等に寄稿の他、CMやイベント、映画のクラシック音楽監修、解説番組出演、映像制作、テレビドラマ脚本のプロットライターなど。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。
加賀谷健