かつては独自の文化を持っていた王国が、中国ウイグル自治区になるまで
8世紀、トルコ系遊牧民たちが建てたイスラム教を信仰するウイグル王国という国があった。その後、清朝の時代に同王国を征服し、一時は東トルキスタン・イスラム共和国として独立を宣言していた時期もあったが、幾度もの民族摩擦を経て、1949年には中国共産党が進駐し、支配下とした。 90年代には、ソビエト連邦崩壊後の中央アジア独立に影響されて、東トルキスタン独立運動が盛んに行われた。しかし中国当局は絶大な力で鎮圧し、拘束者を次々と刑務所に送り込んだ。なかにはひどい拷問を受けた者、犠牲になった者、そのまま行方不明の者も少なくない。
独立解放軍の分子はその後、さまざまな国に亡命したという。亡命先はトルコ、ドイツ、中央アジア諸国で、現在でも一部は活動をしているといわれている。北京五輪開催前に昆明バス爆破事件や、カシュガル警察襲撃事件などは彼らの関与が濃厚だとも。 2015年8月 タイの首都バンコクで2度にわたって爆弾テロがあった。20人が死亡。まだ定かではないがウイグル族の過激派の犯行だともいわれている。タイ政府が亡命ウイグル族を本国中国に強制送還したことが関係していたのかもしれない。 ウイグル自治区 中国 2008年 (写真・文:村田次郎) ※この記事は「【フォトジャーナル】漢民族同化政策 中国・新疆ウイグル自治区 村田次郎」の一部を抜粋したものです。