伝説右腕から「練習していないだろ!」…新天地で衝撃 明かされた“マサカリ投法”の秘密
ロッテ移籍1年目、白武佳久氏は村田兆治に度肝を抜かれた
元投手で広島スカウト統括部長の白武佳久氏は現役時代、広島とロッテの2球団で活躍した。ロッテには1989年オフにトレードで加入。移籍1年目の1990年シーズンにはキャリアハイの10勝をマークした。背番号20をつけ、新天地で躍進を遂げたが、鹿児島キャンプではいきなり試練に見舞われた。ロッテのレジェンド右腕・村田兆治投手兼コーチから「お前は練習を何もしていないだろ!」と厳しい言葉を浴びせられ、その凄さに度肝を抜かれたという。 【動画】これが66歳の投球!? 村田兆治氏の“マサカリ投法”は健在、インローに決まる剛速球 当時のロッテ監督は陸上部並みの走り込みを課す「走れ! 走れ!」で知られた金田正一監督だったが、白武氏は「カープの方がはるかにきつかったので、楽でしたよ」と言う。「パ・リーグはDH制だから、ピッチャーは投げるだけ。もうバント練習もしなくていいし、投げることと守備練習しかない。ひとつのことをやらなくていいとなったら、そっちに物凄く集中できるし、数もこなせるから、下手だった守備がうまくなりましたね」とプラス面も多かったようだ。 もっとも、ロッテでの鹿児島・鴨池野球場でのキャンプ初日は面食らったという。「よーいどんで、村田兆治さんとキャッチボールすることになったんです。僕はトレードが決まってからの自主トレで塁間、セカンドくらいまでしかキャッチボールをしていなかったんですが、いきなり村田さんは、すーっと90メートルくらいまで下がっていったんですよ。これは投げられんと思ってブルペンキャッチャーに間に入ってもらったんです」。 前年の1989年5月13日の日本ハム戦(山形)で通算200勝を達成した大ベテランが相手でも、できないものはどうしようもない。「僕が50メートルくらいブルペンキャッチャーに投げて、そこから彼に村田さんに投げてもらった」という。「村田さんに『お前、練習を何もしていないだろ』って言われました。『いやいや、兆治さん、そんな最初から90も100も投げられないですよ』と言ったら『言い訳するな!』って。まぁその通りだったんですけどね」。