前田啓介『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』(集英社新書)を寺田農さんが読む 今、感じる喜八の息遣い 「戦中派」に迫るノンフィクション(レビュー)
今、感じる喜八の息遣い「戦中派」に迫るノンフィクション
山根貞男編『日本映画作品大事典』によれば、日本には映画監督が、初期の1908年(明治41年)頃から2018年(平成30年)までの間だけでも約1300人もいるという。 この本は1924年(大正13年)2月17日に鳥取県米子市に生まれた映画監督岡本喜八の「戦中派」としての生涯を追ったものである。 「戦中派」とは「戦争を通して何を見て、何を感じ、そして、どういう思いを持って戦後を生き抜いたのか、あるいは、戦後社会とどう対峙し、何を受け入れ、何を拒絶したのか、その答えは、岡本喜八、そして彼の残した作品の中にきっとある」こんな思いのもとに著者は喜八像へと迫る。著者の祖父の世代である戦中派とは「ものごころついたときから戦争のなかにいた」世代で「戦中派世代が社会に向かって歩みはじめた時、日本は戦争に向かって進み出した」のである。だからこそだろうか、幼少期から明治大学の専門部を経て映画会社東宝へ入社するまでに多くの紙幅を費やす。著者のアプローチの仕方は、岡本喜八の遺した多くのエッセーや手紙、メモ、脚本、また今回、新たに発見された日記など多岐にわたり、それらを丁寧にひもとき、あたかもあらゆる登山口をすべて試してなお道無きけもの道に分け入って山頂を目指すかのように執拗に実像に迫っていく。本人のことばだけを信じるのではなく、どこかで誰かがしゃべっている客観的な事実としての裏付けを求めて。 その成果は、膨大な資料の積み重ねによって、喜八本人が現在この場でインタビューを受けているかのように感じられることでもわかる。なぜ20歳そこそこで死ななければならないのか。なぜ雨の神宮外苑学徒出陣式に喜八はいないのか。そして「早生まれ」の謎とは。 著者の前田啓介にはこれまでにも辻政信や昭和の参謀たちを追いかけた優れたドキュメントがある。この作品を書くことによって前田の思いは、大ヒットとなった「日本のいちばん長い日」のすぐあとに、自分たちの終戦をと「肉弾」を撮った岡本喜八の思いと重なる。 嬉しいのは岡本喜八監督の全作品を無性に観たくなることである。 「戦中派」……切ないことばです。 寺田 農 てらだ・みのり●俳優 [レビュアー]寺田農(俳優) 協力:集英社 青春と読書 Book Bang編集部 新潮社
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