『忘却バッテリー』はこれまでの野球アニメと何が違う? 宮野真守が強調した“緩急”
アニメ『忘却バッテリー』が第1期のクライマックスを迎えようとしている。 野球漫画、アニメというのは昔から人気のあるジャンルだ。とはいえ、「野球ジャンル」と一口に言ってもスポ根、一心に甲子園を目指す物語、強豪校でのレギュラー争いを描いた物語など、方向性はさまざまだ。そんな無数の野球作品が生まれてきた中で、本作が特別だったのは、これまでの野球アニメにはない“緩さ”があったところにある。 【写真】男泣きする藤堂葵 ■野球ファン以外の共感を呼ぶ要因 中学硬式野球界で天才バッテリーと恐れられた投手の清峰葉流火と捕手の要圭。しかし、そんなふたりが進学したのは、野球部のない都立小手指高校。そこで出会ったのは、かつて彼らと対戦したことがある山田太郎、清峰と要に心を折られた天才プレーヤー・藤堂葵と千早瞬平。みな野球をやめる決意をしていたが、偶然出会うことになった天才たちが、再び野球の道を歩み始める。 『忘却バッテリー』では天才たちの物語……といきたいところだが、いきなり要圭が記憶を失っている。それでも本能で野球にかじりついていくかと思いきや、怠惰で、モテたくて、遊びたい。かつては智将と言われていたというのに、その片鱗を見られない。 それに対し、要と野球がしたくて仕方がない、要の相棒で幼なじみである清峰。根気よく要に野球を続けさせる。そんな清峰と要に触発されて、野球が好きだという思いを掻き立てられる山田、藤堂、千早。ひたむきに野球を続ける姿も胸を打つが、「何かが好き」だという気持ちを捨てられない。苦しくても「好き」から離れられない姿は、野球に限らず、同じ思いを知っている人たちの共感を呼ぶはずだ。 ■宮野真守の振り切った演技の凄さ そして『忘却バッテリー』のもうひとつの魅力がギャグとシリアスのスイッチングだ。そのギャグの大半を担うのがチームメイトからも「アホ」と言われる記憶を失った要である。記憶を失っていると言っても悲壮感が一切ない。しょうもないギャグを繰り出し、思春期丸出しの姿に山田がツッコミ、藤堂と千早が笑い転げるというなんとも男子高校生の日常で和む。 このギャグの繰り出されるスピードとツッコミの間が絶妙で、アニメならではのキレのある動きと声優陣の演技の賜物と言えるだろう。 要を演じているのは宮野真守、ツッコむ山田を演じるのが梶裕貴というのがまたいい。共演経験が多い2人のボケとツッコミにはなんとも安心感がある。要を宮野が演じると発表された時点から話題を呼んでいたが、改めて、本作では存分に宮野真守の凄さを堪能できた。 そして第9話・第10話では記憶を取り戻し、智将としての要が登場するわけだが、作中のセリフでも言われているように、これがまた「二次元のカッコよさ」である。 「生きた球には勝てないよな」とバッティングセンターが苦手な理由をいいながらも、ガンガンに球を打ち返し、練習試合で緊張する山田に「俺と同じチームで緊張しちゃった?」と微笑む。ここまでのアホの積み重ねがあるので智将パートがめちゃくちゃに引き立つ。カッコいいことを言っているのに、おもしろくなってしまうのはどうしたものか。スンッとした智将モードの要に千早と藤堂が「あの顔腹立つな」と言うが、良い意味で同意したくなる。これはまさに宮野真守の振り切った演技があるからだと言えるだろう。 ■ギャグに振り切るからこそ引き立つ野球のシリアスさ 一方で野球に関する描写はしっかりとリアルで、それぞれの選手が抱える悩みもシリアスだ。打ち込んできたものだからこそ、ぶつかった壁の大きさは中学生や高校生が乗り越えるにはより厳しいものに感じるだろう。 その悩みをぶち破るのは、むしろ深刻になりすぎないこと。考えれば考えるほど、悩みはドツボにハマる。要のアホさは、ある種さまざまな人の悩みを打ち破るきっかけになるのかもしれない。
ふくだりょうこ