birdが振り返るデビュー25周年、自身の名曲たちをショートver.にリエディットした理由
大沢伸一、クラブミュージック、ソウルミュージックとの出逢い
ー今から25年前。大沢伸一プロデュースのもと「SOULS」でデビューしたわけですが、当時はどんな心境で活動されていたんでしょう? bird:大沢伸一さんと出逢って環境が変わって、日本語で歌詞を書くということも「SOULS」が初めてでしたし、レコーディングも初めてでしたし、クラブミュージックに触れたのもそのときが初めてだったし、とにかく何もかもが初めてのことでいっぱいいっぱいだったと思います。そのひとつひとつを打ち返していくのにとにかく必死でした。 ークラブミュージックに触れたのも初めてだったということは、それまでは異なる音楽属性の人だったんですか? bird:そうですね。音楽自体は大学時代に始めていて、軽音楽部でバンド活動していたんですよ。その流れでずっと音楽をやっていた中で大沢さんと出逢って、そこで「クラブという場所があるんだ?」と知る感じだったんです(笑)。だから「クラブに行ってみたほうがいい」と言われて、大阪のクラブに遊びに行ったんですけど、楽しみ方が分からなくて。DJの人がいて、そこでみんなワァーって踊っていて、その光景に戸惑いつつもドキドキしながら「ライブとは違うな」みたいな。そんな中で作品を創っていって、その曲を大沢さんがクラブでかけてくれて、自分の曲でみんなが踊っている光景を見て不思議な気持ちになって。そういう新しいものをスポンジみたいな感じでどんどん吸収していました。 ーちなみに、大学時代はどんな音楽をやっていたんですか? bird:軽音楽部に勧誘されて入って、何をやったらいいか分からない状態からスタートして、初心者の人も経験者の人もいる中でとりあえずバンドを組んだんですけど、そのメンバーのひとりは米米CLUBが大好きだったんですよ。で、初めてそのバンドで「Shake Hip!」を歌ったんです。そこから先輩にソウルミュージックだったり、ジャズだったり、ロックだったり、いろんな音楽を聴かせてもらっていた中で「私はソウルミュージックが好きだな」と思って。アレサ・フランクリンを初めて聴かせてもらったときに「うわぁ!」って圧倒的な声のパワーに打ちのめされて、「私もこういう音楽をやってみたい! アレサバンドを組みたい!」って思うんです。それで友達とかにいっぱい声をかけて、アレサのコピーバンドを組んで。その活動の中でジャニス・ジョップリンとかいろんな人の曲もコピーするようになって、毎日楽しく歌っていましたね。 ーアレサやジャニスに魅せられて歌う喜びを知っていったんですね。 bird:大学4年生になったときに、まわりの友達は就職活動をしていたんですど、私は「音楽を続けたいな。どこまで行けるか分からないけど、頑張ってみたい」と思っていて。それで「音楽と言えばニューヨークだろう!」と勝手に思い込んで(笑)。当時はインターネットもないし、今みたいに情報が溢れていないので、とりあえずニューヨークに行く為のお金をバイトで貯めて、別に向こうの誰かと約束をしていたわけでもないんですけど、渡米しました。で、午前中だけは語学学校に通って、午後は現地の『Time Out』という雑誌を見ながら「今日ここでライブやってるな」と調べてライブを観に行ったり、ワークショップに参加したり、ミュージカルを観に行ったり。あとは、飛び入りでジャズとか歌えるお店があったので、そこで歌ってみたりしていました。 ー現地のお客さんの前で歌っていたと。行動力が半端ない。 bird:ただ、そんな中で気付くんですよね。それまでは誰かのコピーしか歌っていなかったんですけど、音楽で生きていく為にはオリジナルソングが必要だと。日本語で、自分の言葉で歌わなきゃいけないなと強く思って。それで日本に帰ってきてからも、関西エリアでジャズとか聴かせる飲食店でバイトしながら歌っていたんですけど、それと同時進行で初めて曲づくりに挑戦するようになって。とりあえず鼻歌でメロディーを考えて、軽音楽部の友達にコードを付けてもらったりして、歌詞も必要だから慣れていないなりに作詞もして、その曲をライブで演奏するようになったんです。その時期に大沢伸一さんと出逢ったんですよ。 ー運命の出逢いですね。 bird:向こうから声をかけてくれて「普段はどんな音楽が好きなの?」と聞かれて、私は大沢さんがどんな人か知らずに「私はバンドばかりやっていて。70年代のソウルミュージックが大好きで! アレサとかマリーナ・ショウとかいろいろ好きなんですよ!」みたいな感じで話していたら「今流行ってて格好良いソウルミュージックもあるんだよ」ってエリカ・バドゥとかディアンジェロとかの曲を聴かせてくれて。それで「めちゃくちゃ格好良い!」と思って、そこから今の時代の音楽も聴くようになったんですよね。その出逢いがきっかけで「じゃあ、なんか一緒にやってみよう」という話になったときに「日本語で歌いたいんですよ」と伝えたら、大沢さんも「日本語の曲をプロデュースしたい」と仰っていて。それで一緒に曲を創っていくことになったんですよね。 ーそして「SOULS」を筆頭に『25th anniv. re-edit best + SOULS 2024』にも収録されている名曲たちが生まれていくんですね。ちなみに、最初に出逢った頃の大沢さんにはどんな印象を持たれていますか? bird:最初はどんな人なのか分からなかったので、ちょっと怖かったです(笑)。でも、話していくうちに同じ関西の人だったから「しゃべりやすいな」と思って、どんどん距離が近づいていきました。 ー今回、その大沢さんと「SOULS」の新バージョン「SOULS 2024 Shinichi Osawa ver.」を制作されたんですよね。 bird:大沢伸一さんとまた一緒に「SOULS」という曲をレコーディングする。まず「25年続けていたら、こんなに素敵な機会がやってくるんだ! 嬉しいな!」と思いました。25年前の自分はこんな未来を考えてもいなかっただろうし、音楽活動を続けていないと起きなかったことじゃないですか。で、新しいアレンジで、今の私の声で歌った「SOULS 2024 Shinichi Osawa ver.」が生まれたんですけど、新しい部分と懐かしい部分が混ざっていて、これを形に出来てすごく良かったなと思います。今回のベストは、1曲目がオリジナルの「SOULS(Main)」で、最後の曲が「SOULS 2024 Shinichi Osawa ver.」になっているんですけど、このふたつを同じアルバムに収録することもなかなか出来ることじゃないと思うので、本当に嬉しいです。 ー25年前と今の「SOULS」に収められた自分の歌声。聴き比べたときにどんな印象を持たれましたか? bird:25年前はとにかく全部を一生懸命やる感じだったので、今も一生懸命やってますけど、すべてが新しい環境の中で……本当にまっしぐらだったんですよね。なので、今聴くとそのときの感覚を思い出します。新しい「SOULS 2024 Shinichi Osawa ver.」も歌っている気持ちはいっしょなんですけど、レコーディングとか長く積み重ねてきたものが反映されているとは思いますね。ただ、歌に対する向かい方は何も変わっていないんだなって。それは今回改めて感じました。あと「SOULS」は、私にとって初めて日本語の歌に挑戦した曲で、大沢さんから「これまでの歌い方をフラットに戻して、そこから取り掛かろう」とアドバイスしてもらって完成させた曲でもあるんですけど、それは今振り返るとすごく良かったなと思うんです。今でも新しいことをやるときは、過去のやり方を引っ張らず、いったん更地に戻してそこからまた新しいモノを吸収するようにしているんですよ。 ー創作者としての在り方を教えてくれた曲でもあるんですね。 bird:そうですね。今だったら、フラットにしても、これまでの経験で得てきた技法とかはいったん仕舞うだけで、またいつでも活用することもできますし。この考え方はいつまでも持っていていいものだなと思っています。