頭上飛び去る米軍機「飛行士の顔はっきり見えた」長野空襲を語る集い
●2人しばらく動くことができず
ところがグラマンの飛行士は身を乗り出してこちらの様子をうかがい、そのまま何ごともなく飛び去っていきました。「若い飛行士で、顔もはっきり見えました。女・子供だからと温情を見せたのかどうか分かりません。もし撃つつもりならすぐに引き返して攻撃してきたはずです」と小林さん。 2人はしばらく動くこともできず、動悸(どうき)が収まると、家に向かいました。「その間もロケット弾の発射音が周囲に鳴り響き、午後3時過ぎまで空襲は続いた」。
●長野駅や機関区が赤く燃えていた
家にいては危険だからと山のリンゴ畑の小屋に避難。付近の山あいに集まった数百人もの避難者は野宿することになりました。「暗くなると長野駅や機関区が焼け続けており、炎で明るくなっていた」。 小林さんは「米軍の主な攻撃目標は長野飛行場、長野機関区、長野工機部、国立傷痍軍人長野療養所、一般民家で、篠ノ井、松代、綿内など市街地周辺部にも広く及んでいた」と言います。 「日本軍は機関銃や機関砲で応戦したが撃墜はできなかった。長野空襲は、松代大本営の造営工事と長野飛行場の拡張工事などが米軍の目標となって長野空襲につながったとも考えられる」と小林さん。「戦争に向かった軍の方針が間違っていたと思わざるを得ない。戦争は肉親を失い、民間人が犠牲になり、損害は人的、物的ともに甚大。平和であることを願ってやみません」と締めくくっていました。 会場には「語り継ぐ会」が各所から集めた空襲時の写真なども展示。来場者が真剣に見入っていました。
---------------------------------- ■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者・編集者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説