「進学クラスの恥」→「ツテなしコネなし、いきなり海外起業!」37歳女性の“大胆すぎる挑戦” 「とりあえず現地に行く」「まず動く」ワクワクする“世界の歩き方”とは?
カンボジアの地で子育てをしながら会社を経営する女性、奥田けいこさん(37歳)。 会社の経営、そして子育て。経営や子育てどちらかだけでも大変なのに、それを日本とカンボジアを往復しながらこなしている。 彼女のそのバイタリティはいったいどこからきているのか。またなぜカンボジアでビジネスをしているのか。 今回は奥田さんの行動力の秘密に迫ってみた。 *この記事の前編:「“受験失敗”から大逆転!」37歳女性の“海外挑戦” 【写真で見る】「進学クラスの恥」とまで言われた“受験失敗”からの大逆転!「ツテなしコネなし」驚きの大胆“海外挑戦”!37歳女性・奥田けいこさん、その素顔
■カンボジア「プノンペン」と「それ以外」の落差が凄い 奥田さんは今、カンボジアの首都、プノンペンで不動産業を中心にビジネスを展開している。 主にカンボジアに長期出張に来るビジネスパーソンのための賃貸住宅の斡旋や移住者のためのサポートを業務としている。 プノンペンは今、大きな転換期の中にあり、どんどん開発が進み都市化が著しいという。中心部の地価は高騰し、物価も日本とそう変わらないと奥田さんは話す。 「日本は東京以外にも大阪や名古屋といった大都市がたくさんありますよね。でも、カンボジアはプノンペンに集中していて他との落差が凄いんです。おそらく日本の方がイメージされるカンボジアの牧歌的な風景はプノンペン以外になり、今私がオフィスを構える場所は東京でいう港区にたとえられるような場所です」
そんなプノンペンにオフィスを構えるまでには3年の準備期間を要した。 東日本大震災の後、地元である宮城県で災害公営住宅の建設に携わり、その後、自身の起業の準備を始めることになる。 学生時代から会社を経営し、売り抜けた経験もある。登記なども、できることは自分自身の手でやって学んできた。 そのうえで、海外で起業しようと思ったのは、復興への葛藤と子どもの将来というのが大きかったという。 ■「海外移住」を決意した理由は?
「震災復興に携わらせていただいて、最初は子どもが小さかったので、在宅勤務で母乳を与えながらパソコンに向かうような毎日でした。祖母もプレハブの仮設住宅にいたのもあって、このときは必死でしたね。どんどん忙しくなる業者としての部分と被災者家族としての両面から目の前の現実を見てきて、いろいろと思うことがあったんです」 奥田さんは、家族が震災の被災者であると同時に、携わっている建設関連の仕事は復興事業の要であり、これまでよりも潤っているというなんとも皮肉な状況に身を置くことになる。