森保監督解任→“代打指揮”は「頭になかった」 “運命”のあの日、元JFA技術委員長は何を考えた?【独占インタビュー】
反町康治氏が悔やむ新型コロナ禍による無観客試合での東京五輪…無念のメダル逸
2020年3月29日、反町康治氏が日本サッカー協会(JFA)の技術委員長に就任したのは新型コロナウイルス禍の真っ只中。疫病が蔓延するなかで日本サッカーは多くの困難に直面した。就任後、パンデミックの影響で日本代表の活動は行うことができず、強化のための試合は組めなかった。そのなかで2022年のカタールW杯アジア最終予選がスタート。日本は初戦のオマーンに敗れ、第3戦のサウジアラビアにも敗戦を喫してしまう。3試合を終えて日本は1勝2敗の勝ち点3。ライバルとなるオーストラリア、サウジアラビアは3連勝で勝ち点9。上位2チームがW杯への出場権を得る戦いのなかで、日本は絶体絶命のピンチに追い込まれた。その時、反町氏は何を考えていたのだろうか。(取材・文=森雅史/全2回の2回目) 【写真】「かわいすぎる」「メガネ似合いすぎ」 三笘薫のアスリート美人妻がイギリスを満喫する様子 ◇ ◇ ◇ ――在任期間中に印象に残った出来事トップ3のうち、3つ目は何になりますか? 「自国開催だった東京五輪ですね。予選がないので、本大会に向けた強化はすごく考えなければなりませんでした。ですから、『1チーム2カテゴリー』という言葉を全面に出して、1つのチームがSAMURAI BLUE(日本代表)と五輪チームに分かれているということにしました」 ――東京五輪は開催が1年遅れたことで難しい部分も出てきました。 「そのためSAMURAI BLUEと五輪代表の活動が重なる時期がより出てしまい、SAMURAI BLUEの横内昭展コーチ(現ジュビロ磐田監督)に五輪代表の監督代行として活動してもらうことで同時進行させました。この策は上手くいったんじゃないかと思ったんですが、最終的にはメダルまで届かなかったので、そこは本当に残念でした。 田嶋幸三前JFA会長もおっしゃっていたのですが、もし満員の観客の中でプレーできていれば(注:東京五輪は新型コロナウイルスの影響で無観客試合となった)、メダルには届いたのではないかという思いを拭い切れません。もしあそこでメダルに手が届いていれば、またいろんな風景が変わったのではないかと思います」