映画『燃えるドレスを紡いで』:地球にとってファッション産業は害か? デザイナー中里唯馬が考える衣服の未来
闇に差した一筋の光明
しかし続いて訪れたケニア北部のマルサビット地方で、思いがけぬヒントに出会うことになる。そこでは厳しい干ばつの中、砂漠の民が深刻な食糧危機に瀕していた。 「以前から家畜とともにシンプルに生きる遊牧民の暮らしに関心があったんです。家畜は英語でライブストックというくらい、生命のストックであって、ある意味、運命共同体として暮らしている。近くにいる家畜から食料や衣服の材料を得て、小さなサイクルで生きている。今この瞬間も、そういった暮らしをして生きている人々がこの地球上にいるんだなと意識するだけでも、物事の見え方がこれまでとはまったく変わってきますよね」 部族の村では、羊の皮を縫い合わせた原始的な服や、色とりどりのビーズでこしらえた装身具を見つけ、中里の目に光が戻る。 「衣服の起源というテーマはずっと以前から調べていたので、やっと出会えたという感覚でした。加えて、非常に過酷な環境下でも、女性たちが色鮮やかなビーズの装飾をまとっている。その前に衣服の山を見て、もう作らない方がいいんじゃないかと絶望的な気持ちになっていたところに、生み出すことを肯定されているようにも感じられ勇気づけられました。人が装うことの根源的な意味、人はなぜ表現をし、ものを作り出すのか、そもそもファッションデザインとは何なのか…、そういった答えの一部をそこで教えてもらえたような気がしたんです」
技術・素材と不可分のデザイン
ここまでの濃密な体験が、実はドキュメンタリーの序盤3分の1でしかない。中盤以降は絶望や葛藤から再び立ち上がった中里が、この体験をふまえて、新たなテーマでコレクションを作り上げる姿を追っていく。 ケニアのマーケットから日本に持ち帰った150キロ分の古着の「塊」は、プリンティングソリューションを提供する企業が開発した最新の技術を応用して再処理し、素材に生かされることになった。そのほか、山形のベンチャー企業が開発した、環境に負荷をかけない人工合成タンパク質を使った素材も取り入れる。 「オートクチュールは車で例えるとF1レースみたいなものです。そこで培われた技術が10年後に公道を走る車に応用されるように、ファッションの10年後の未来を予測するものになる。パリでコレクションを発表することには、世界に広まっていくトレンドの源流としての責任があると思うんです。そこでどのようなメッセージを世の中に届けるか、より慎重になる必要があります」 こうして中里は、素材・技術とデザインを対(つい)に考えながら服を生み出していく。ところが熟考を重ねてまとめ上げたコンセプトが、いざ形にして美しくなるとは限らない。果てしない試行錯誤を伴う生みの苦しみのプロセスがドキュメンタリーの終盤を構成する。ショーの当日までギリギリのスケジュールで作品を仕上げていく中で、数々のハプニングに見舞われるなど、密着撮影ならではの緊迫したシーンが続く。 「ショーの前は毎回大変ですが、それを乗り越えられるのは、ファッションの力を信じているからです。パリ・コレクションって、歴史的に偉大なデザイナーたちが、ファッションデザインの力によって、ある意味、世の中を変えていった場所なんです。例えばデニムは、作業着として生まれたのに、いまやジェンダー、階級、職業、国籍、いろいろなものを超えて、あらゆる人々に愛用されている。社会が新しい価値観を受け入れるときの、ボーダーを越えていくものとして衣服があるんです。そんな新しさを提示するのがデザイナーの仕事だと考えています」 日本からケニアを経てフランスに至る波乱に満ちた冒険の結末がどうなったか、映画館のスクリーンで確かめてほしい。環境を意識した言動が単なる見せかけになってしまうことを強く警戒する中里が、続けることの大切さを肝に銘じているところが印象的だ。 「この映画は、あえて何が善で何が悪か、答えを提示せず、問いを投げかけて終わるところが時代にフィットしていると思います。服は誰かが着て初めて完成するところがあります。映画も観た人が考えることが何より重要です。いつもは意識せずに着ている服が、どうやって生まれて、どうやって終っていくのか、少しでも考えてもらえるきっかけになったらうれしいですね」 取材・文:松本卓也(ニッポンドットコム)