【伝説の8番】大鵬の現役引退 栃富士に押し倒されて初日黒星 館内どよめき「全く知らないうちに負けてしまったよ」…1971年夏場所(上)
1971年5月場所は、優勝32度を誇る昭和の大横綱・大鵬が引退を決断した場所だった。同年1月場所では千秋楽、全勝の横綱・玉の海に勝って1敗で並び、さらに優勝決定戦でも勝利し、32度目の優勝。続く3月場所でも12勝3敗を挙げていた。だが、迎えた5月場所は初日にいきなり東前頭3枚目・栃富士に黒星を喫した。 栃富士が左肩から当たって、左を差しにいくところを、大鵬は右からおっつけ、突き放した。のけぞるところを左のど輪、右おっつけで正面土俵へ。栃富士が右へ回って逃げるところを、右で張って突き放そうと、右足を大きく踏み込んだところ、腰が入りすぎた。栃富士が苦し紛れに右から突き放すと、大鵬は腰がくだけて土俵に落ちた。 大番狂わせで館内がどよめく中、尻もちをついた大鵬はペロリと舌を出した。「追っかけているうちに、右足を踏み込みすぎた。全く知らないうちに負けてしまったよ」と大鵬は苦笑いを浮かべた。2日目は西前頭3枚目・高見山、3日目は同2枚目・龍虎、4日目も東前頭2枚目・藤ノ川に勝って、3勝1敗と立て直し、5日目は小結・貴ノ花との対戦を迎えた。 「角界のプリンス」として注目されていた貴ノ花は、細身ながら強じんな足腰を生かした粘り強い相撲で人気を集めていた。初日は前の山を上手投げ、2日目はそれまで4戦全敗と苦手としていた大麒麟を寄り切り、大関に2連勝とその勢いを見せていた。 この年の1月場所5日目に両者は大熱戦を展開していた。がっぷり左四つから、貴ノ花が大鵬の上手を切ると同時に、右から上手投げ。大鵬は大きく泳ぎ、東土俵につまった。貴ノ花は懸命に寄り立てたが、大鵬は土俵を割らない。大鵬は逆に寄り返しながら押しつぶすように、左からのすくい投げ。この時、貴ノ花は左ひざを負傷。6日目から休場することになった。 本紙評論家だった玉の海梅吉さんは「何とも形容しがたい壮絶たる一戦だった。両者が土俵にたたきつけた執念と思惑は、誰にもおかすことのできない2人だけの世界を作り出したといえる」と絶賛した。その再現にファンは心躍らせた。 (久浦 真一)=つづく= ◇大鵬 幸喜(たいほう・こうき)本名・納谷幸喜。1940年5月29日、サハリン(旧樺太)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、終戦とともに北海道へ。56年9月場所初土俵。60年1月場所、新入幕。61年秋場所後に第48代横綱に昇進。71年5月場所で引退。優勝32回。通算成績は872勝182敗136休。引退後は一代年寄「大鵬」として部屋を興し、関脇・巨砲らを育てた。2013年1月19日、72歳で死去。現役時代は187センチ、153キロ。
報知新聞社