奥川恭伸の復活勝利は“伝説の始まり”だ! 「すべてのボールが決め球」だった高校時代から持っていた超一流投手の思考【主筆・河嶋宗一コラム『グラカンvol.24』】
伝説となった智辯和歌山戦はベストピッチング
奥川投手の19年を振り返ると、センバツでは2回戦敗退に終わりましたが、初戦の履正社戦で17奪三振完封勝利を上げ、夏の甲子園では準優勝。3回戦の智辯和歌山戦では14回を投げて23奪三振、自責点0の快投を見せました。 150キロ前半の速球、140キロ前半のフォークをコントロール良く投げ込んでおり、まさに息を呑むような快投でした。平均球速は149.9キロ。プロの一流投手並みの剛速球を投げ込んでいました。あれ以上の投球は見たことがないというぐらい奥川投手のベストピッチングでした。あの試合について“伝説の投球”と語る人が多くいますが、私もそう思います。 激闘を終えた奥川投手は壇上ではなく、主催者の配慮で椅子に座ってのインタビューでした。淡々と試合を振り返りながら、「周りの方々が『伝説の試合に勝ったね』と言ってくださるようでしたら、僕たちも嬉しいです」と喜んでいました。 その後も世界大会ではカナダ戦で7回18奪三振の快投。ドラフトの目玉選手となった奥川投手のドラフト前取材は過熱し、メディアの合同取材という形になりました。2018年12月のようにじっくりと話せませんでしたが、調子が良い時のバロメーター、智辯和歌山戦の振り返りなどを真摯に答えてくれました。
奥川投手は剛速球を投げられて、多彩な変化球で三振も奪えて、四球も出さない。理想的なスキルが備わった投手でした。思考力も高く、プロでの活躍を確信させてくれました。高卒2年目には9勝も上げ、3年目以降は大エースの道を歩んでくれるだろうと思った時に多くの故障があり、約3年も一軍の勝利から遠ざかることになりました。 一軍復帰の投球はまだ奥川投手の本来の出来ではありません。150キロ前後のストレート、130キロ前半のカットボール、140キロ前半のフォークが基本線でしたが、リリースポイントが乱れる場面があり、コントロールミスもありました。それでもストライク先行をして、四球0だったのはさすがでしたが、さらにブラッシュアップしないと一軍で結果は残せないと思います。 プロ野球投手として真価が問われるのは次の試合から。コンディション調整に気をつかい、打たれても、負けても、一軍のマウンドにいることが日常になってほしいです。24年が完全復活に向けての序章の1年になることを期待しています。 *『主筆・河嶋宗一コラム グラカン!』は毎週日曜配信します。