奥川恭伸の復活勝利は“伝説の始まり”だ! 「すべてのボールが決め球」だった高校時代から持っていた超一流投手の思考【主筆・河嶋宗一コラム『グラカンvol.24』】
名将、ドラフトの目玉も絶賛した神宮大会の快投
立ち上がりから三振ラッシュ。最速149キロの速球、130キロ近いスライダーに加え、この試合から投げ始めたフォークで次々と三振を奪い、7回11奪三振の快投。広陵は中国大会で創志学園・西 純矢投手(阪神)を攻略しているチームであり、そのチームが奥川投手に太刀打ちできなかったのは衝撃的でした。初回はすべて三振に打ち取っていますが、いきなり打たれると勢いづかれてしまうため、三者三振を狙ったといいます。 奥川投手の快投について、広陵の中井 哲之監督はこう話しています。 「西君を打つために練習をしてきたので、スピードは対応できました。西君の方が速かったくらいです。ただコントロールや緩急、精度は奥川君の方が上でした。 特にフォークボールがすごかったですね。今日は真っすぐでは三振していませんが、フォークで三振していました。130キロくらいのフォークが切れる。そこが見切れればもう少し違ったかと思いますが、これまであんな投手はいなかったし、練習をしたことはない。キレ・高さ、変化球でストライクとれるし勝負ができる。スライダーもあってストライク先行で失投を仕留める以外なかった」 そしてこの試合、当時1年生ながら広陵のスタメンだった宗山 塁内野手(明治大)も驚きのコメントを残していました。 「ストレートに狙いを絞ってヒットを打つことができましたが、投げる球種がすべて決め球に見えました。ストレートの切れ、制球力、変化球の切れは今まで対戦した投手の中では一番でした」
独自の投球フォーム理論を力説
この大会では準優勝を収めた奥川投手。その年の12月に星稜の室内練習場で取材することができ、投球論、投球フォームについてとことん話をしてくれました。 奥川投手の投球フォームで気になったのは、他の投手と比べて腰高でステップ幅が狭いこと。それでもリリースポイントも安定していて、コントロールも抜群。どんな意図で投げているのか質問しました。 「体の回転がうまくできているのは自分の持ち味だと思う。それは幼稚園の時にやっていたバトミントンが影響しているのかなと思います。僕自身、上半身の使い方には自信があって、そこがスピードを出す一つの要因だと思っています。 『上体が高い』『手投げだ』と周りにはけっこう言われるんですが、自分が凄く大事にしてるのは、左足の付け根のところにしっかり体重を乗せることなんです。重心の高さは、今のレベルではあまり考えていないです」 こうした考えに行きついたのも、コーチからのアドバイスがあったからでした。 「中学生までは重心を低くしたいという考えもありました。他のピッチャーと比べて“立ち投げ”だったので、重心を低く膝を折って…という考え方だったんですが、高校に入って荒山 善宣コーチ(星稜出身 1982年夏、1983年センバツに投手として出場)と出会った時に『実はそうじゃないんだよ』という話をされて、自分でも少しずつ理解できました。 今のフォームのメリットとして、角度をつけるボールとかもできると思うので、重心の高さというのは考えずに、しっかりと左足の付け根に重心が乗っかることを考えています」 そして翌19年への意気込みについて語ってくれました。 「春のセンバツで、チームとしては優勝を目指して、自分としても秋の投球よりも良い投球というのを目指しています。夏の甲子園に出た時も優勝を目標にして、自分の力を発揮したいです。U-18にしっかり選ばれて活躍して、プロに入れるように頑張っていきたいと思っています」